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清家農園みかん山通信(173号)令和7年11月号

 10月も半ば過ぎになって、ようやく暑い夏が終わり涼しくなってきたと思う間もなく晩秋の気配が迫ってきました。油断をして夏物を着、薄い夏布団で過ごしていたので、衣替えも済んでおらず慌てて相の服と冬蒲團を出したり干したりしました。
庭の端々に蔓延っていた白粉花も黒い種をつけ来年はもっと蔓延りそうなので、その生命力に辟易しながら始末しています。金木犀も匂ってきました。
あれもこれもしなくてはならない事ばかり、イソップのキリギリスの心境です。
 10月の初め北海道に行ってきました。最初の予定は9月でした。運悪く8月末にコロナに感染し、諦めようとも思いましたが、11月には78歳になる身、初めての北海道、最後のチャンスになるかも知れないと、再度ツアーに申し込み、何度もスマホで北海道の気温を調べての旅支度。まだ夏のように暑かったので涼しさや寒さへの実感が湧かず迷うばかり、結局あれもこれもと大荷物になってしまいました。
まず松山空港からほど近い娘宅に1泊、翌日埼玉の妹宅に2泊、荷物を厳選して減らし、3泊4日に丁度よいスーツケースを新調し、(まだ動けるうちは旅行に行くつもりなのです)同行の妹といざ北海道へ。
1日目待望の函館。標高334mの函館山から地図の形そのままの、海に囲まれた美しい夜景にうっとり、翌朝は五稜郭タワーから星型の五稜郭の全貌を何度も見下ろしながら、鳥羽伏見から江戸の上野、会津や長岡の戊辰戦争と北上し遂に最後の砦の函館戦争に敗れて幕府軍が全滅した過程に興味を持ち、図書室の本を読み漁っていた高校時代を思い出しました。次は小樽。運河沿いのレンガの倉庫群をテレビや写真ではなく本物を見て満足。朝里川温泉泊。久しぶりの温泉。3日目、旭山動物園。ここで大失敗をしました。現在、町中で人に危害を加えていますが、動物園の熊で安心と眺めた後一休みしたベンチにコートを忘れ、数十段の階段を上がって入口の案内所へ戻り、「熊舎より下の案内所に届けられています」との事でまた数十段を下り、集合時間が迫る中、妹からあまり動物を観ていないと嘆かれながら慌ててまた入口迄上がり、急いで昼食を食べ、水が出されなかったので、時間がないと自分でドリンクバーからお茶を入れたところ、店員が飛んできて、2人分入れたので800円ですと言われ、湯呑み1杯のお茶に400円払わなければならず、実に散々の旭山動物園でした。気を取り直して、途中、不思議な青い湖を観、富良野のお花畑へ。とてもきれいで気持ちが優しくなり400円のお茶の悔しさを忘れることにしました。夕方札幌着。翌朝札幌農学校の建物だった時計台や雪まつりが行われる公園散策。年寄り向けのバスツアーには珍しくキャリアウーマン風の親切な女性2人連れに教わりながら集合場所の新千歳空港に辿り着き、お土産買いに1時間以上費やした後札幌ラーメンを食べ搭乗。無事羽田着。毎日、日によっては1万3千歩以上も歩き通せたのは自分でもびっくり。
また妹宅に1泊、娘宅に1泊を経て帰宅。というわけで10日間も家を留守にしていたつけを只今ヒーヒーと、野菜を植えたり、冬支度をしたり、溜まったメールの整理をしたりのキリキリ舞い中です。

秋めけるゲバラ死す日の五稜郭