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清家農園みかん山通信(69号)平成20年12月号

 早回しのフィルムどころか高速光ファイバーのような速さで時が過ぎカレンダーが残り1枚になってしまいました。子供の頃は1日があんなにも長かったのに、今は今年のお正月がつい1週間前のように感じられます。とはいえいろいろな事があった1年でありました。サブプライムローンの破綻から始まった世界の経済危機。ほとんどの人々はかなり以前から効率とお金一辺倒の今の社会構造はどこかおかしい、間違っていると心の底で思っていたと思います。真面目にこつこつと働く人々は、努力相応には報われず、ほんの一握りの人達のみが、見えないところで巧妙に庶民や第3世界のお金をバキュームカーの様に吸い取って、巨万の富を欲しい儘にしています。「恭子さんの所へ持っていけば断れまい」と集落の人達が考えたらしく、民生委員を引き受ける羽目になって1年が経ちました。1週間悩んだ末相談に行った、善一の小学校の恩師の「自分自身に辛いことがあった人が適任よ、勇気を出してやってみたら」という言葉と長男の「母ちゃんだったら引き受けるのかなと思った」という言葉に後押しされての決断でした。農家の長男の嫁としてはかなり甘やかされた嫁ではあったのですが、私なりに苦しんだ時もありました。という事で役目柄、こんな片田舎でも凄まじい程の貧しい暮らしを目の当たりにすることもあるのです。私は弱虫なので、その場ではニコニコ話を聞いていますが心の中では泣きたくなったり逃げ出したくなったりしています。政府の公的資金投入を求める経営危機打開の会議に、何の疑問も心の痛みも持たず自家用ジェット機でやって来たアメリカ自動車会社のトップ達。会社を首になった労働者達はスタインベックの「怒りのブドウ」の人々のようになろうとしているのに!!!先日会員になっているUNHCR(難民高等弁務官事務所)からスーダン・ダルフールの難民に緊急援助をという手紙を貰ったのですが、忙しさと口座が夏枯れだった為と言う理由を付けてまだ1円も送金していません。時々思い出しては後めたく思っています。あの自動車会社の社長達よ、ジェット機を売ってほんの1割でいいから難民の子供達に食べ物や毛布を送って欲しい。
 そういえば「円高ウォン安の今の内に韓国へ行って思いっきり韓国料理食いたいなぁ」などとのたもう不謹慎極まりない輩が、我が家にも約1名居りました。その輩、5度目の挑戦で青年海外協力隊に何故か合格し、来春よりアフリカ、マラウィの農村開発(農業改良普及員のような仕事)に行く事になりました。もうすぐ34歳、同級生は2児、3児の父親になっています。母親としては早く結婚して欲しい処ですが協力隊は彼の長年の夢だったので仕方ありません。善一は「嫁さん連れて帰らんかったら家に入れてやらん」と言っています。彼がマラウイの為に何が出来るのか皆目判りませんが7年間暮らしたアメリカとマラウィの暮らしがどれ程異なっているのかしっかと見、聞き、経験してきて欲しいと思います。来年、再来年のみかんとりは力持ちが居なくなるのでしんどくなりそうです。
(今年のみかん一段と器量が悪くて申し訳ございません。)
     皆様そして世界中の人々、どうぞ良いお年をお迎えください。

数へ日のみかんに追はれ暮れにけり