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清家農園みかん山通信(111号)平成27年12月号この12月善一は40年続けてきた埼玉へのトラックでの配達を休むことにしました。まだ宅配が今程発達していなかった40年前は生産者がお客様に直接みかんをお届けするシステムは珍しい事でした。今ではネット販売が当たり前になり、どなたでも全国の珍しい美味しい食べ物を簡単に召し上がれるようになりました。そんな便利な時代に抗うように善一は1年に6回、愛媛から埼玉へのみかん売りの旅を続けてきました。往路は徳島港から東京の有明港迄のフェリーを使いますが復路は走りますので帰宅時の走行距離は1700kmに及びます。老骨に鞭打って、(本人は「老骨ではない」と思っているらしいのですが)なぜトラックでの配達を続けてきたのかと云いますと、それは偏にお客様と触れ合える喜びあるからに違いありません。単なるみかんの売買を超えたお客様との繋がりが1700キロを超えるトラックの旅を支え、みかん栽培の原動力となっているのです。40年の間には本ガ何冊も書ける程色々なことが有りました。子供が小さい頃は親子5人がトラックに乗って埼玉の実家への里帰りを兼ねてのみかん売りでした。長じて、帰省する大男の息子2人を乗せて帰ってきたことも有りました。毎春、留年の瀬戸際から辛うじて脱出していた娘に、「みかん販売のお陰で大学に通えているのだから」という理由で、春休み、善一は嬉しそうに助手席に娘を乗せみかん売りに出掛けていました。若い頃は徹夜で運転して帰宅し、休む間も無くみかん山に農作業に行っていましたが、時は流れ、ここ数年、旅を終えた次の日は疲れた様子で、負け惜しみを言いつ仕事を休みます。 時代の流れとともに産業革命に匹敵するIT革命が起こり、遅ればせながら我が家も数年前にホームページを開設し、未だ十分に運用しきれているとは言えませんが、注文の受付、お客様とのメールのやり取り、送り状の印刷等パソコン無しではやっていけない状況になっています。今農家として生き残ってゆく為にはITを活用して栽培から販売まで一貫して責任を持って行うか経営規模を拡大して収量で収入を得るか、または家族の誰かが現金収入を得るため勤めに出るかの何れかを選んでいる家がほとんどです。昔のように自給自足の生活をしている農家は皆無です。エアコン 水洗トイレ 自動湯沸かし風呂 はごく一般的な暮らしになっています。ついこの間、愛媛県伊方町の原発再稼動が決定しました。愛媛県知事は「政府が責任を持つといったので許可した」と言っていますが、未だに12万人もの福島の人々が「流浪の民」として故郷に帰れないでいるという現状をどう考えているのでしょうか。みかん山から、原発の座る対岸の半島を眺めながら政府への不信感が拭えません。「反対デモには行く隙がないし、薪で風呂を沸かすぐらいじゃエネルギーの節約は追いつかないし」と絶望感が募ります。紙面が尽きました。お約束のカンボジア行は1月号に書きます。尻切れトンボですが、皆様どうぞ良いお年をお迎えください。 ほんとのみかん清家農園 http://mikanyama.com/
みかん送りりんごが届く年の暮れ
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