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清家農園みかん山通信(129号)平成30年12月号

  信じられない速さで時は巡りはや12月です。7月の大雨災害から5ヶ月、11月号にも書きましたが、まだ書き足りない思いがあります。街並の表向きはほぼ以前の姿に戻りました。でも目を上げて周りの蜜柑山を見るとまだ崩落当時の儘で農道も運搬用モノレールもズタズタです。あまりに規模が大きすぎて個人の力ではどうにもならないのです。県や国の支援を受けて復旧か再編するとしても時間が掛ることは必須です。後継者が居る農家は何とかしてやり直そうとしていますが、後継者の無い農家は、今から農地を整えみかんの苗木を植えても10年前後かかるので生きているうちには間にあいそうもないので諦めるしか無いと言っています。大きな崩落現場は何軒もの農家が含まれているので話し合いもなかなか進みません。そんな人間の思惑を余所に生き残ったみかんの木は崩れた箇所のすぐ脇で健気にもたわわに実をつけきれいに色付いています。「何もかも流されて否応なしに断捨離ができたし、リフォームして前よりきれいになったよ」と元気な方も居ますが、未だ仮設住宅住まいの方や吉田を去った方も居ます。空気はいいし緑に囲まれ海はすぐ近く、美しい自然いっぱい、美味しい魚は食べ放題、こんなに素敵な所はないと思って暮らしていましたのに「地球にとって人間なんてどうでもいい存在なんだなぁ」という思いがしました。でも自衛隊や各県の自治体、各組織や個人ボランティア、の皆様が駆けつけ、給水車や炊き出し、お風呂の供給、土砂除けなどして下さり被災者は涙がでるほど助かったと言っていました。我が家はお隣の1M手前で土砂崩れが止まったので無事でした。飲み水は頂いたペットボトルや給水車からの提供、トイレやお風呂はトラックで農業用水を汲んできました。食料は家が町まで遠いためいつも1ヶ月分ぐらいのストックがあるので不自由しませんでした。1箇所蜜柑山が崩れましたが経営に支障をきたす程の面積ではありませんでした。ただ息子は消防団で連日見回りや、土砂除け、水門の流木除けなどに出動、夫は寺総代をしているので被害にあったお寺の土砂除けに連日出ていたので、蜜柑山の仕事が少し疎かになりました。私は水に浸かった公民館の調理室の片付けなどに行きましたが棚の隅々にまで泥がこびりついていてなかなか落ちませんでした。備品もすべて泥だらけで主事さんと喧嘩しながらもったいないと洗いましたが、結局すべて捨てざるを得ませんでした。家がただの瓦礫と化してしまったり、農家として成り立たない程ほとんどの道具、車、倉庫を失った知人や、被害届の書類の山との格闘と合併以来遠くなってしまった宇和島の市役所(以前は吉田町役場で近かった)通いと心労と農作業でとうとう体を壊してしまった友達も居ます。瓦礫の山や崩れた蜜柑山を見たくないと思いながらついつい横目でチラ見して県道を通りながら、皆、普段通りであるような無いような暮らしをしています。今年は盆踊りも敬老会もできませんでした。盆踊りの会場の児童公園はまだ土砂の山ですし公民館の中は空っぽのままです。でも何故か、暗い顔をしている人は見かけません。みかん穫りが忙しくてめげている暇はありません。南国愛媛では冬でも畑には菜っ葉が青々としているので人々が楽天的なのかもしれませんし、この地域の豊かな自然は人間をひどい目にも合わせますが、優しく包み込んでくれるもう一つの面も合わせ持っているからでしょうか。年末ですのに楽しいお話ではなくて申し訳ありません。大震災や大雨災害台風災害、明日は我が身。皆様防災用意おさおさ怠りませんように。どうぞ来年は災害が起こりませんように。

ほんとのみかん清家農園

瓦礫にも家族の歴史十二月