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清家農園みかん山通信(169号)令和7年4月号

 チラホラ桜が咲き始めた3月末から故郷の埼玉に行ってきました。移動を躊躇(ためら)うコロナが収まりかけた頃に夫の闘病が始まり、蜜柑売りの夫のトラックに便乗して行っていた埼玉が遠くなっていました。仕事が的確で早い夫が昨年夏に旅立ち、清家農園は息子と私のスローリーWとなってしまい、50年振りの蜜柑の大不作に見舞われた混乱の11月と12月の繁忙期を持ち堪え(こたえ)ようと、お客様の理解に助けられながら、なんとか乗り切ったつもりでした。しかし、年明け頃から、燃え尽き症候群風(ふう)に体も心も思うように言う事を聞いてくれないと感じるようになり、掛かり付けの内科の先生や鍼灸医から働き方改革を勧められました。という訳で元々遊んだり休んだりするのが好きな私は、お客様のご迷惑も顧みず休みを取り、久し振りに故郷の埼玉に行き親友と会う事にしました。ところが、50年前には怖い物知らずに地球をぐるりと平気で飛び回っていた筈なのに、コロナ以降別府の温泉以外出掛ける事も無かった為か、歳のせいか、遂に埼玉へ行くのも億劫になり、何もかもスマホでピコピコ通過のチケット無用も心細かったので、今春中学1年生の外孫に「一緒に行ってくれる?」と頼み込みバァバと孫の珍道中となりました。
 数年振りの埼玉&東京は連日雨で真冬並みの寒さでした。
 1日目は泊まっている妹の家の近所に住む親戚の様なお客様と、長年配達でお宅を訪れていた亡夫の話を沢山しました。
 2日目はかけがえのない親友と最寄りの駅で待ち合わせ、57年振りの再会。「人生がこんなにも早く過ぎて行くなんて」とお互いに痛感しながら、まるで昨日まで一緒だった高校生の様に、笑いあい、何から話そうかと時を惜しんで話込み、「健康に気をつけて、また会おうね」と名残惜しさをこらえて改札口で手を振り合いました。 次の日は孫の要望でスカイツリーに行き、余りの寒さに震えました。雨に濡れながら見上げたスカイツリーは霞んで雲の上。残念でしたが展望台には上がりませんでした。代わりに水族館とグッズショッピングで孫も楽しめたので良しとしました。
 最終日は学生時代から何くれと面倒を見てくれ、電話で終活の指導迄してくれるしっかり者の親友と数年ぶりに再開し、為になる話をいっぱい聞き、未だに面倒を見てくれる友達を持って幸せだと思い「お互い元気でいようね」と約束してお別れ。
 77歳ともなると一瞬一瞬がとても大切になります。特に遠方で滅多に会えない友や親族との逢瀬はかなり切実さが迫ってきます。電話やメールという手段はありますが実際の生身に会う温かさや幸福感には叶いません。
 妹の家を辞し愛媛の吉田町に帰ると何と至る所、満開の桜が迎えてくれました。故郷とはいえ池袋から20分足らずのベッドタウンはビルと住宅と車と人で溢れ、隙間が少なくて少し疲れました。都会に比べるとかなり不便ですが、海も山も有り自然豊かな吉田町はすでに我が終(つい)の故郷になっているとしみじみ思いました。

黄砂降る夫の遺愛の自転車に