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清家農園みかん山通信(135号)令和元年12月号

 いよいよ師走です。「呼びもせんのに来よる」と伊予訛りで言った人がいましたが、年年歳歳、情け容赦のない月日の流れに狼狽するばかり。仕事も家事もやり残した事ばかりの極月。憧れの悠々自適とは程遠い、忙しない毎日。でも9月から10月にかけては別世界のような優雅な3週間を過ごしました。常識的に考えると、避けたい出来事だったかもしれませんが、私にとっては束の間のゆったりとした贅沢な時間でした。仕事はリハビリと散歩だけ、上げ膳据え膳、自分の体の世話だけをすれば良く、スタッフは皆限り無く優しく、七階からの景色は見晴らし良好、読書し放題。まるでクルージングの様な日々。少々の体の痛みなど何のこれしきでした。何を隠そう入院ですね。元気だけが取り柄だった私ですのに、二人に一人が掛かるというあの病気で、お産以外の初めての長期入院。思えば誠に貴重な日々でした。悪い処はちょん切って貰い今はすっかり元気になりました。とはいえこのまま仕事に追われ終活出来ずに「あれまぁ天国」とはなりたくない「何とかせにゃぁ」と毎日思ってはいます。
けし粒程の庶民の話はこの位にして、日本のいや世界の女性の星、緒方貞子さんが十月に亡くなられました。十数年前緒方さんがJICAの理事長をされていた時、青年海外協力隊の40周年が有り、みかんのお客様の開拓を口実に本音は緒方さんに会いたさで、(一応半世紀前の協力隊のOGなので)飛行機に乗って東京のNHKホールに行きました。原宿の駅前できれいなお姉さんから反対の方角に教えられたとおりに行って引き返したりしながらNHKホールに着きました。もしかしてあのお姉さんは埼玉の人で知ったかぶりをしたのではないかと思いました。(私も元埼玉県人です)そして憧れの緒方さんをオペラグラスで拝見しました。犬養毅を曽祖父に持つ彼女の生まれ育ちはとてもじゃありませんが宇宙の彼方程に私とかけ離れた方ですが、憧憬し仰ぎ見るのは自由ですから、いつも彼女の行動に注目していました。国連公使やUNHCR(難民高等弁務官事務所)弁務官、JICA理事長等の活躍で女性の可能性を具体的に示してくれた事を感謝せずに居られません。政治学者に留まらず生涯を紛争や難民、貧困問題に現場主義で取り組まれた緒方さんの活躍以後、国連で活躍する日本女性が大幅に増えたそうです。
 さて11月号でも書きましたが、やはり台風19号の被害の大きさに触れない訳にはいきません。寒さが本格的になる中、被災者の皆様はどんなにか辛い思いをされているかとお察しいたします。昨年の西日本の災害の被災地として痛みが痛切に伝わってくる気が致します。どうか体に気をつけてこの冬を乗り切って下さい。こちらもまだ仮設住宅に住んでいる方が居り、県道の土のうもそのまま、ほんの一部ですが、崩れた我が家のみかん山もそのまま、児童公園は土砂の山と流された木々の集積場になっていて子供達がサッカーも野球も出来ないでいます。保育園は閉鎖され更地になりました。農協マーケットも閉鎖しました。何かが起こると最も影響を受けるのは子供やお年寄りや障がい者ですね。
最後になりましたがみかんの言い訳です。今年は天候の影響で昨年ほどの濃い味のみかんではないと思います。心よりお詫び致します。 愛マドンナ(紅まどんな)注文承ります。

ほんとのみかん清家農園 

つれなきは時の流れよ十二月