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清家農園みかん山通信(133号)平成31年4月号

 新元号が決まりました。まだ馴染みがありませんがそのうち慣れてくるのでしょう。
花冷えというのでしょうか?ここの所冬に戻ったと思える程寒い日が続き、なかなか冬物の始末が出来ません。今年の入学式には丁度満開の桜が新入生の上に祝福の花びらシャワーを振りまいてくれそうです。近くのダム湖の桜もほぼ満開です。町へ用事で出掛けた帰りにちょっと回り道をして桜の下でうっとりしてしまいました。軽四に農具を積んだおっちゃんも「どの位咲いたか観にきたんよ」と通りかかりました。しかしながら毎年新入園児を華やかに迎えていた保育園の桜の大木は、つい先日取り壊された園舎と運命を共にし、無残にも伐採されてしまい、皆の目を楽しませることは叶いませんでした。3人の子供達が通い、第2子のお産で里帰りしていた娘の長女、つまり孫娘も短い期間とはいえ通った保育園でした。隣は公民館、前は農協、その隣は小学校という村の中心地にあり、朝晩は送り迎えの若いパパママで賑わい、農協マーケットに買い物に行くと道路にまで可愛い園児の声が響いて思わず頬がほころぶ癒やしスポットでした。それも今は思い出の中だけになりました。昨年の災害で保育園も農協も公民館も水に浸かり、農協は事務所もマーケットも再開の目処はなく保育園は廃園となり園児は保護者の車で隣村まで通っています。かろうじて公民館のみリフォーム工事をして、備品はまだ揃っていませんが使用できるようになりました。小学校も3年後にはなくなるとのこと。地域から子供の声が聞こえなくなること程寂しいことはありません。罪の一端を我が家も担っていると思うと申し訳ない思いです。(息子にお嫁さんが居ないので従って子供も居りません。)嘆いてばかりでも仕方がありませんので、夫のアメリカ時代の友人がやっているイチゴ農園に松山の外孫とイチゴ狩りに行ってきました。その友人は先日イノシシに襲われ50針以上も縫う大怪我をしましたが、倒れたら命は無いと木にしがみついてイノシシの攻撃に20分間も耐えて命拾いしたそうです。まだ足を引きずっていましたが、静かな佇まいの方ですのに20分もよくぞ耐え抜いたと、その精神力に驚くばかりでした。牙に刺された傷より噛みつかれた傷の方が複雑でひどいそうです。「お気の毒に」と言いつつ美味しいイチゴとシシの焼き肉、シシ鍋はしっかりたっぷりいただき一同満足、楽しい1日でした。一宿一飯の恩義ではありませんが「3泊も泊まるの-」と娘に言われながら強引に連泊し、じいじは、孫娘の塾の送り迎えや、もうすぐピカピカの1年生になる男孫の自転車乗りの特訓に貢献し、私は「自宅は草に埋もれているのになぁ」と思いながら、娘宅の庭や家の周りの草引きをしました。帰リ道に地雷処理の高山さんの事務所にも寄り誘われたお花見に参加できないことを告げ、帰国していた高山さんと一緒に来日していた旧知のカンボジア人の方とも談笑して、仕事が待つ家に帰ってきました。時々こうして家を脱出しては楽しい思いをしています。帰宅して待っていたのは親戚のお葬式。2日間夫婦で家を留守にして今日やっと仕事に復帰です。お客様にはご迷惑をおかけしてしまいました。仕事の合間に今年のカンボジアスタデーツアーの日程を組んで中学校に希望者の募集をかけなければなりません。年寄りの冷や水ですがじいじは今年も中学生を引率してカンボジアに行くぞと張り切っています。それが夫の生き甲斐で、一生懸命働いているので止められません。ボケ防止にもなるかもしれませんしね。

ほんとのみかん清家農園

保育園取り壊されて桜東風