清家農園みかん山通信(99号)平成25年12月号
遂に師走です。あれよあれよと1日、1周間、1ヶ月、1年が過ぎてゆきました。産直みかん農家の12月は、自他共に認める楽天家の私を以ってしても、10kmきり走れないのにフルマラソンに挑戦するような大舞台。大ミスをしでかしてお客様にご迷惑をお掛けしたらどうしようという恐怖と闘いつつ、日に日に衰える脳の機能を叱咤激励中であります。10月に遠出して遊んだ後遺症も忙しさに少々加担しているかも。さて、「私達とクルーズって何となく合わないみたい」と思いつつ出かけたイタリア。乗船1日目に善一の右腕骨折のアクシデントに見舞われ、白いギブスと共にエーゲ海の船旅は進みます。「きっと乗客は、私達のようにジジババばかりだろうな」という予想は外れ、若いカップルや赤ちゃん連れ、オータムホリデーの子供たちを何人も連れた賑やかな家族連れが可成り沢山居ました。毎晩の塩辛いフルコースに飽き、食べ放題のビュッフェに行くと子供連れがワンサカ。もの静かな人達はスイス人、ドイツ人、食べ散らかしお行儀がイマイチなのはイタリア人家族。何気ない行動でわかってしまうお国柄。迷子になりそうになりながら美味しそうな料理を探すのについ夢中になってしまう私。何しろ船の乗客4千人余。田舎者にとっては毎日東京の繁華街に食事に行っている樣な気分。決して残さない信条で毎日の食事にアップアップしている間にも船は進み、ピレウス着。経済破綻の痕跡かアテネ市内の一等地にも空き店舗がそこかしこ。アクロポリスの壮大さと現在のギリシャとの落差。でも国民はソクラテスみたいに悠然と暮らしている樣子。何はともあれバッグが安かった。次の寄港地はサントリーニ島。おとぎの国のよう。崖の上に建つ白い漆喰の家々。海と同じ色をした青い屋根の、絵葉書そのままの教会。善一の白いギブスが漆喰とよく調和していた。坂道の細い路地を孫へのおみやげを探してウロウロ。観光以外で生きてゆくには厳しい土地に違いない。我が宇和島の段畑に思い至る。水を運び上げるにも大変な労力が要ったことだろう。宇和島は人間の肩の天秤棒、ここではロバ。船に戻り夜はパーティ。娘から借りた黒いドレスの上に嫁入りの時に持ってきた派手な黄色い羽織を着た。平原綾香と日本で共演したというイタリア人歌手と友達になる。お忍びの旅らしい。可愛い女性連れ。大胆にも平原綾香の歌を私が歌ったら笑いをこらえていた。最後の寄港地、元ユーゴスラビアのクロアチア、世界遺産の街「アドリア海の真珠」ドブロブニク。民族紛争の破壊跡も修復され、城塞に囲まれた旧市街の広場では民族衣装のおばちゃん達の産直市が開かれていた。殆どが果物の瓶詰め。飾りのみかんを「売って」としつこく言ったらくれた。結構おいしかった。翌朝7泊8日の船旅を終え再びベネチアへ。空港へ行く前の数時間ベネチアの街を観光。富の蓄積の豊かさは圧倒的。やけに中国人が多かった。孫へのおみやげのピノキオ人形もっと買えばよかった。帰りの飛行機でオマーンの刑事と同席。JICAの研修で東京に行く由。「あら私達40年前JICAで働いてたのよ。君の生まれる前の話だけど」「来年の貴方達の旅行はオマーンに決定」テロリスト対策の刑事にしては調子いい。成田にJICAが迎えに来ていた。他にも質素な身なりのスーダン人。自国の通貨きり持って来ていないとJICAの職員が困っていた。最後にタンザニアからのおばちゃん登場。スワヒリ語で話しかけるととても喜んでいた。オマーンの刑事から、レートの良い両替店はどこかと聞かれ教える。お金持ちのくせにね!金持刑事、貧しげで不安そうなスーダン人、スワヒリ語を話す日本人に大喜びのタンザニアのおばちゃん達に「良い研修を」と別れを告げ、成田の半額ホテルに泊まった後松山空港に無事到着。
1歳半から8歳迄の、孫達3人」のおみやげの攻防戦騒ぎを眺めた後帰宅。 あぁ疲れた。
見慣れたみかん山がやけに美しく優しげに見えました。
城塞の産直市のみかんかな