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2024 (令和6年)
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清家農園みかん山通信(163号)令和6年4月号みかんのお客様でもある、故郷埼玉の小学校の同級生から戴いたガーベラはツンデレ手入れにも拘らず小ぶりながら赤く2輪、やはり埼玉からの戴き物の黄梅も日陰に耐えて可憐な黄色い花をしだれた枝に咲かせ、石垣の上にはレンギョウも明かりのように黄色く、母の形見の竜胆もその株元に目立つのを避けるように白い小さな花をつけています。同じく埼玉生まれの花ニラはちんまりと地味に咲いています。同郷のバラは殆んど1年中頑張って咲いてくれます。自家製みかんの産直販売の為、埼玉に4十数年通っていた夫が亡母に頼まれトラックに積んで持って帰った花や木はふるさと遠く嫁いだ私を見守ってくれているのかもしれません。生粋の愛媛っ子のフリージアも雑草の間から必死に首を伸ばし、11月に農協から貰ったビオラは今も尚沢山の花をつけて玄関先に明るく鎮座し、秋も深まりかけていた頃慌てて植えた12鉢のチューリップは健気にも徐々に咲いていますがやはりちょっと小ぶりです。そうこうしている内に菜の花は終わりに近くなり、菜種梅雨が始まって、気が付くと木蓮も咲いており、傘を指して庭を一廻りしてみると気が早いおっちょこちょいの皐月も5.6個の花をつけています。花梨もピンクの可憐な花が咲き始めました。桃も「今年は落ちてしまう前に実を穫ってね」と咲き、古木のさくらんぼは蔦に巻かれて殆んど枯れ掛けていますが、実がならない方のさくらんぼが花だけは沢山咲かせています。杏はもうすぐ。無秩序な家の周りは野菜畑と地植えの木々と花の鉢が同居して実に賑やかです。雨上がりの木々の間から鶯の今風の歌と目白らしい合いの手が聞こえてきます。庭はやはりその家の状況や住む人の心を映すものなのでしょうか? 混沌とした我が家の状況とそっくりな庭です。でもそれなりに雑多な春を謳歌して「希望を持って日々を大切に過ごしてゆこうよ」と励まして呉れているように見えます。 世界中戦争だらけ、災害だらけ、疫病だらけの「絶対安全な場所など何処にも無いのでは」と思えるこの地球上で生きてゆくのは容易なことでは有りません。地球の生きとし生けるものが皆、思い遣り助け合って生きてゆかなければ地球そのものが駄目になってしまいそうです。地球で一番の悪者が人間だなんて悲し過ぎます。 4月は新しい環境で暮らしを始める方達が沢山居ますが、きっと希望と不安で胸を膨らませている事でしょう。健康に自信が無くなり「よっこらしょ」と立ちあがるようになって、「新しい事に挑戦出来るって幸せな素晴らしい事なのだ」とやっと気が付きました。何歳になっても「初めて」に挑戦したいとは思っていますが、体力気力を振り絞らないと行動に移せません。でも花や木や鳥や虫や星や雲や風や自然の営みの助けも借りて希望を持ち、少しでも何かのお役に立って暮らしてゆこうと思っています。 5月は清見タンゴール、ポメロ、ジュースです。 つづら坂海を背にして花万朶 |