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清家農園みかん山通信(60号)平成19年3月号

 庭先のさくらんぼが満開です。うぐいすが下手も上手も競って鳴いています。みかんを摘みながら悴んだ手に息を吐きかけ、地下足袋の底から伝わってくる地面の冷たさに足踏みをする、あの冬の寒さはここ数年ありません。春の訪れの有難味と喜びが薄くなったような気がする昨今ではあります。何はともあれ希望の春。いや絶望の春の方もいらっしゃるかも知れませんが、不思議なことに絶望の陰には必ず希望の芽が隠れています。冬の次には春がやって来る様に。
 突然現実の話で恐縮ですが、今夜のおかずは40センチ四方位の魚のエイでした。生姜と牛蒡を入れて煮付けるのですが今日は牛蒡が無かったので生姜だけ入れて煮ました。次の日には煮凝りになってもっとおいしくなります。エイの煮付けを食べる時私はいつもちょっとせつない気分になります。それは長男の妻の並ちゃんの好物だからです。初めての孫、那生が生まれた頃長男はとても貧しく、広島の見知らぬ町で、夏目漱石の「明暗」か「草枕」に出てくるような崖下の小さな家を借りて住んでいました。孫の顔みたさに広島のその家に訪ねて行った時、
きちんと整った生活振りに感心すると同時に、隠しようのない貧しさに心が痛みました。江戸時代から続く山口県柳井市の名産三角餅(みかどもち)の老舗「藤阪屋」(かって国木田独歩が寄宿した事があり出世したら必ず藤坂屋のことを本に書くからと約束し、実際書いてくれたそうです。)の一人娘の並ちゃんにこんな貧しい暮らしをさせてと申し訳なく、可愛想でなりませんでした。夕食の時、並ちゃんが「おかあさんどうぞ」とタッパーから出してくれたのはエイの煮付け。お里のお母さんが可愛い娘の為にと送ってくれたものでした。私でしたら、実家の母親が自分の為に心を込めて料理して送ってくれたくれた好物を、訪ねてきた姑に何の迷いもなく「どうぞ食べてください」と差し出したでしょうか?、、、情けないことに私には「はい」と言う自信がありません。留学したロンドンのアルバイト先で留学生同志として出会った二人でした。息子と並ちゃん二人に共通する所は金銭や物に欲が無いところでしょうか。無欲とはいえ程度と言うものがあります。私も娘を持っていますので並ちゃんのご両親がどれ程に、大切な一人娘と初孫の暮らしを案じていたであろうかと察することが出来ます。海のものとも山のものとも判らない貧しい若者との結婚をよく承諾されたことだと頭が下がります。現在は九州の小倉に住み、お世辞にも豊かとは言えない迄も、当時よりは少しはましな暮らしのようです。6月には待望の二人目が生まれる予定ですが、二人目の孫の誕生を誰よりも心待ちにしていた、スポーツ万能、壮健そのものだった実家のお父さんが病に倒れ、この1月、彼岸に旅立ってしまいました。息子に先立たれ嘆き悲しむおばあちゃん、深い悲しみを表に出さずひっそりとしていた並ちゃん、そして、お人形さんのように美しかったお母さんがやつれ果てて小さくなってしまった姿が痛々しく胸が潰れる思いでした。エイを食べながら並ちゃんのことを思った春の晩でした。

春愁を言い訳にして籠りけり