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清家農園みかん山通信(59号)平成19年2月号

 愛媛県の県都松山から高速で1時間余り走って宇和町で高速を下り(宇和の先は未だ出来上がっていません。)国道56号線を宇和島方面に向かって15分ほど走ります。右に海を見ながらトンネルを11個通り抜けると吉田町です。町に入って最初の信号を右折すると小さな半島部の真ん中を通っている県道です。道の左側は吉田町では貴重な田んぼです。右側はみかん山。西部劇風の村のスタンドを過ぎてから2分程走り田んぼ側に左折します。小さな橋を渡り、田んぼを突っ切って山道を登ってゆくと東京ドーム3個分程の小さなダム湖が有ります。今は鴨がのんびりと泳いでいます。ダム湖を左に清家農園のはるみ園を右に見て、清美タンゴール園の角を右折します。くねくねと登って行くと家が3軒あります。そこを通り過ぎて、100m程行くと小さな四つ角です。左に上ってゆけばみかん山、右に行けばヘアピンカーブの連続の下り坂で、集落を抜けて県道に出ます。残る一番細い直進の下り坂を100m程進むと、突き当たりに家があります。今は家の前に無秩序に数百本の水仙が咲いていて、良い香りがします。「えっ、こんな所に家があるなんて」と誰もが思うらしく、その昔、家庭訪問に来られた先生方が異口同音に「ここから毎日通ってきているのですね!」と絶句されるので、子供の話はそっちのけでまず2階に案内し、窓から見える景色を自慢げに披露するのが恒例でした。実際眼下の県道、公民館、農協、保育園、小学校はまるで絵の様に小さく可愛らしく見えます。麓まで1k、駅まで4キロ。お陰で3人の子供達は競輪選手の様な立派な太ももを携えて社会に巣立つ事が出来ました。最も娘は、肩幅の広さに今だに悩んでいる風がありますが、、ただ残念なのは3人共、筋肉に比べ脳の鍛え方が若干、いや、かなり足りなかった事実が判明した事です。
という訳で、入試シーズン真っ只中。新聞に入試問題が掲載されていますが、私にはちんぷんかんぷん、大学など以ての外、高校はおろか中学校さえ入れそうにありません。受験生の皆さん、皆さんは利口なのですから自信を持ってください。そして風邪を引かないように、清家農園のみかんをせっせと召し上がって下さい。私も、ようやく青色申告に取り掛り始めました。去年は愚息の卒業式にアメリカに行き、JICA青年招聘の世話焼きおばさんをやり、40年を経たトイレやお風呂のリフォームを決行!と、私の能力を超えた行事が目白押しでした。当然、青色申告は1年間ほったらかし。当然の結果泣かねばなりますまい。善一は台風や旱魃で痛められたみかん山の伐採に、チェンソーも新しく買い換えて精を出しています。夕食後にはダム湖の周りを何周もウォーキングし、「若者並の体脂肪率だ」と威張っています。私はパソコンにしがみ付くばかりの毎日なのでまさに、霜降り肉、トロまぐろ状態。「牛なら高く売れるのに」と言われても返す言葉もなくお腹を擦るばかり。私も青色終わったら霜降り&トロ返上するけん!!!
 無駄だったかも知しれない事が明らかになりつつある衝撃的気配濃厚な長年の仕送りから開放されたので、倹約続行で、学校に行きたくても行けない途上国の子へのささやかな仕送り(今迄の仕送りより有意義かも)を始めようと思います。

水仙と景色自慢の山の家