ホーム 2024 (令和6年) 2023 (令和5年) 2022 (令和4年) 2021 (令和3年) 2020 (令和2年) 2019 (平成31年) 2018 (平成30年) 2017 (平成29年) 2016 (平成28年) 2015 (平成27年) 2014 (平成26年) 2013 (平成25年) 2012 (平成24年) 2011 (平成23年) 2010 (平成22年) 2009 (平成21年) 2008 (平成20年) 2007 (平成19年) 2006 (平成18年) 2005 (平成17年) 2004 (平成16年) 2003 (平成15年) 2002 (平成14年) 2001 (平成13年) 2000 (平成12年) 1999 (平成11年) 1998 (平成10年) 1997 (平成9年) 1996 (平成8年) 1995 (平成7年)

清家農園みかん山通信(48号)平成17年3月号

 枯れ草色の山が草萌え色になり梅が散り始めました。梅は咲いても散っても何となく地味で目立たないのですが底力を秘めていて時期がくればしっかり実を成らす堅実派です。母の命日が近付いてきました。命日の8日にはせめてお墓に花を供えてあげましょう。親不孝な長女たる私は跡も継がず、忙しさにかまけて家のすぐ近くに建てた墓参りさえたまにしか行きません。みかん山への往きは「早く山へ行かなくっちゃ」帰りは「早く帰ってお風呂沸かしてご飯作らなくっちゃ」とお墓を横目に通り過ぎるばかり。たまーに良心の呵責に耐えかねて地下足袋のまま走り上ってシャシャシャッと落葉を掃いて「ごめんなすって」と走り去るぐらいです。清家・高橋(旧姓)のご先祖様達ごめんなさい。
さて、3月は熟年も若者も人生がガラッと変わる月でもあります。心ならずも挫折を味わう方も居られるでしょう。私自身も子供達も挫折の経験は実に豊富です。
先日みかんの行商に行く途中札所近くでお遍路さんが寝袋やら何やら背中にいっぱい背負って峠を登って行くのに出会いました。私はいつもの習慣で車を止め、みかんを持って走り、「欲しいだけ取ってください。」と言いました。彼はたった1つだけみかんを取りました。「風邪引かないでね。」遍路は深々と頭を下げて、また歩き始めました。息子達と同じ位の歳の若者でした。我が家の次男も3年前に5万円を懐に88箇所の歩き遍路をしてきました。全行程約1200キロの野宿の旅で10kgも痩せて帰って来ました。雨の日も風の日も一緒に歩いた納経帳は息子の背中のカーブが付き、リュックの底には穴が開いていました。私はそれを見て泣きました。小さい頃から目標にしていた青年海外協力隊の試験に落ち、父親からは「早く家を出て自立せよ」と怒鳴られ、行く先を模索しての苦悩の遍路旅(のはず)でした。しかし!息子は、驚いた事にというか予想通りというか遍路経験も何のそのぜーんぜん変わりなし!その後みかん山を手伝いながら何度か協力隊にチャレンジしたのですが結局夢は叶わず、進路を変えて昨年夏、又アリゾナの大学院へと旅立って行きました。長男と違って自分から道を切り拓いてゆくタイプではありませんが苦境をじっと耐える(やりすごす)力というか呑気さ加減には親ながら脱帽です。まさに挫折のプロです。その内「卒業したけど就職口無かった。百姓やるよー。」とすまして帰ってくるかもしれません。私はそれもいいかなーなんて心密かに思っています。善一にしてみれば高卒後9年間も学校に行かせ必死で仕送りし続けたのに「何を考えとるんか!」と怒りたくもなる、のも判ります。でも心の底ではもしかしたら戻ってくるかも知れないと思っているに違いありません。だって58歳なのに数百本のみかんの苗木を植える準備をしているのですから。「甘い親と笑われるだろうなぁ」と思いながら書きました。     限定自家製100%ジュース(4月発売)予約賜ります

小走りの遍路に釣瓶落しかな