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清家農園みかん山通信(50号)平成17年11月号

清家農園のみかん=エコ愛媛みかん:
特別栽培農産物 認証番号−16A119

 朝晩上着が欲しい季節になりました。秋も11月ですね。皆様いかがお過ごしでしたか?あっという間に1年が過ぎ又みかんの季節が巡ってきました。まずは今年度みかんの作柄についてのご説明です。今年の愛媛は夏から秋にかけて旱魃気味で、みかんがしなびる程でした。かろうじて灌水はしませんでしたが、如何せん玉太りが悪く小玉傾向となってしまいました。その為、表年とはいえ収穫量は余り多くはなさそうです。最も大切なお味ですが、昨年よりおいしいです。みかんの中袋(じょうのう)には脂肪の吸収を抑制し・分解を促進する作用があることも解りました。今年のみかんはじょうのうも薄く食べ易いですから皮をむいたらパクッとそのまま食べてください。
 さて次は近況報告です。みかんの季節も終りビワの袋掛けがようやく済んだ5月14日午前0時13分、娘の樹里が女児出産。病院に着いてから約1時間程であれよあれよという間の実に軽いお産でした。立ち会うのを楽しみにしていた娘婿が息せき切って今治から駆けつけた時には、すでに赤ちゃんは娘のお腹の上で「おぎゃー」と泣いていました。産婦人科の研修医だった娘が2年間の研修中に経験した中で最も軽いお産だったそうです。「患者の妊産婦さんが『ありえない痛さ!苦しさ!』と言っていたので覚悟していたのに「ありうる痛さ」のうちに生まれてしまった」と言う娘のコメントです。出産1ヵ月半前までかなりハードな勤務をし(辞める当日も、どちらが患者か判らないと笑われながら大きなお腹でメスを握り帝王切開の手術をしたそうです。)その後引越しを済ませ、実家の我が家へ出産に帰ってからも家事を手伝い毎日ダムの周りを3〜4キロ程歩いていたのでお産が軽かったのでしょうか。何はともあれ母子ともにすこぶる元気いっぱいで世話をする私にとっても楽な産後でした。名前は明衣(めい)(五月生まれなのでメイなのだそうです)お盆には長男の子那生(4才)と明衣の二人の孫で大賑わいでした。娘は今治に住んでいるので(車で2時間位の所)時々我が家へ明衣を連れてやってきて、じじとばばを喜ばせてくれます。明衣が泣いて嫌がるのにあれこれ色々な服を着せ替え人形のように着せて喜んでいる困った母親です。
じじばばは国際交流協会の活動も忙しく夏には元ペルー大使(元協力隊事務局長)の青木盛久氏を招いて講演会、10月には恒例のハロウィンin吉田(アスベスト騒ぎで公民館大ホールが使えず急きょ中学校の体育館に会場を変えたのですが540人もの小学生が来てくれました。そして翌日のALTとのみかん山パーティ、準備後片付けと大変ですがとっても楽しい年中行事です。10月の末には東京で青年海外協力隊の40周年記念式典がNHKホールであり、隣の広場には2〜3万人も集まるので、愛媛県ブースでみかんを売りませんかというお話がありました。生憎まだ収穫前なのでやむなくお断りしました。その代わり不肖恭子営業に行ってきますと理由をつけて式典に行ってきました。ご臨席の天皇皇后両陛下は35年前に隊員として任国に赴任前に東宮御所でお会いして以来、小泉首相とJICA総裁緒方貞子さんは初めて本物(失礼)にお目に掛りました。もしやと思っていた昔の同僚は歳月が流れすぎていて誰一人判らず会えませんでした。

パソコンに操られおる文化の日