清家農園みかん山通信(49号)平成17年4月号
三分咲きの桜も初心でいいものですね。台風で根を痛められ満身創痍だった蜜柑の木が、最後の力を振り絞って蜜柑を成らせ、力尽きて倒れた後の、明るくなった蜜柑山に草が勢い良く伸びています。その草を削り穴を掘り蜜柑の苗木を270本植えました。鶯が急かす様に鳴いています。くたくたになって帰宅、お風呂沸かしてご飯作って、夜なべに清見とデコポンの箱詰め、そしてようやく入浴、夕食を済ませ、異動になった農業改良普及所の親切な係長にお礼のメールを打ち終わり「疲れたー」とぐったりしていると電話が鳴りました。青年海外協力隊時代に2年間生活を共にした律子お姉様からでした。ドイツ人と結婚してスイスに住んでいます「やっちゃん元気?私いま冬のソナタに凝っているの。日本から送らせたDVDで冬のソナタ見ていたらやっちゃんを思い出したので電話したの。今度クルージングでカリブに行くの。この前はアメリカクルージングに行ったのよ。夫は南極旅行にもうすぐ行くの。9月には日本に遊びに行くからね。フィットネスクラブで若い子と同じに頑張ったら肩痛めちゃったのでゴルフが出来ないの。Etc,etc」私は「すごいねー、すごいねー」と民謡の合いの手よろしく話の隙間に言うばかり。だって家のテレビは3万円で買った中古でビデオも予約設定ができないのでテープ一本全部録画しなければいけないし、勿論DVDもBSもないので冬ソナも「くだらん!」と言う善一の目を盗んで眠い目をこすりながら深夜放送で「明日起きられるかなー」と心配しつつ飛び飛びに観ただけですし、蜜柑売りのトラックで徳島から東京迄フェリーには乗るけどクルージングと呼ぶにはチト無理があります。鍬打ち仕事や行商の蜜柑袋持ちで肩を痛めたことはありますが、フイットネスクラブやゴルフにはとんと縁などございません。それにしても冬ソナ観て何故私を思い出したのかサッパリわからん。お姉様は機関銃のように喋りまくって「じゃあね」と電話を切りました。ケニア時代4人の洋裁教員の中で私は最も若く、生徒と本気で喧嘩する様な未熟教員でした。お姉様は教員としてのキャリアも長く優秀なリーダーでした。しかし英語はからっきしで、笑いをこらえるのが大変なくらい。「やっちゃん、コマンダントにノートと鉛筆と布をくださいと言いなさい。」「ヘッドクォーターに提出する書類早く書いて」要するに私はパシリ(使い走り)役でした。厳しくて、でもとても面倒見の良い実の姉の様な人でした。イヤー。それにしても何たる暮らし向きの違い!律子お姉様らしい華麗なる人生。パシリのやっちゃんらしいあくせく人生。自分で選んだ人生だから後悔ありませんと言い切りたい所ですが正直いえば、「神様は不公平だなぁ」と思わない事もありません。お寺生まれの友達の直ちゃんが「人には生まれながらの運命があるのよ」と言っていました。若い頃は「そんなのたまったもんじゃない」と思っていましたが今では受け入れられる気がします。私なりに今を満ち足りている、と思えば、ほんの僅かでも幸せを他の人に分けてあげられそうです。宝くじが当たればすごく沢山分けてあげられるのになあとつい考えてしまう煩悩多き私めでございます。 (ほんとのジュースまだ少々ございます。)
プライドを袴に隠す土筆かな