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清家農園みかん山通信(107号)平成27年2月号

 家の周囲に、はびこっている水仙の香が時折そっと匂ってきます。余りにもせかせかしている時には、水仙に顔を近づけて息を吸い込むと、ちょっと切ないけれど結構強い香りがして気分が変わるような気がします。梅の蕾が膨らみ、先走りの蕾は花びらの白い先端を3分の1程覗かせて居ます。晩生ののんびり屋さんはまだ硬い紅色の蕾のままです。森羅万象、先端を走って行く者と、ゆっくり後から我が道を行く者があるようで、どちらにもきっと良い所があるのでしょう。我が家の生活道路沿いにあるダム湖のほとりの、日中友好公園の入り口に植えられている椿がほとんど誰にも気にも止められずに紅く咲いています。原発から30キロ圏内である公園には狛犬と放射能の測定器が有り、両方共も忘れられたようにひっそりと存在しています。昔、沢山の中国人研修生がみかん農家や縫製工場に研修に来ていました。彼らは2年間住み込みで研修し、技術やお金を得て中国に帰国し、今ではかなりの地位になっている人も居ます。研修とは名ばかりの労働者として働かせる農家や工場もあったようで、吉田町国際交流協会として心を痛め、元研修員の娘さんで日本に留学し吉田町役場の国際交流員となっている方と協力して調査をしたり、イベントに誘ったりしながら関わったこともありましたが、当時の彼らは選ばれて来た人達でしたので2年間を立派に務め上げて帰国して行きました。お隣の家の中国人研修生が、プレゼントした善一のスーツを着て、嬉しそうに吉田町の成人式に出かけていった姿を思い出します。時代が変わり豊かになった中国の代わりにインドネシアやベトナムの研修生が、国に残してきた家族の為と汗を流しています。日中友好も今はどうなっているのか、椿は知る由もなくただ咲いています。国と国の友好関係がうまく行かなくなっても信頼し合った人と人との繋がりはそう簡単に壊れるものではありません。今回の人質事件も何とか人と人との繋がりで解決できないものでしょうか。それとも人間として、良心など全く通じない異星人のような集団なのでしょうか。格差社会から弾き飛ばされてしまった人々が、間違った方向、方法で世界中に報復しているとしか思えません。人の命を軽んじることに関しては断じて許せませんが、弾き飛ばされない様に毎日必死で働いて、かろうじて自立を保っている当方と致しましては、吹き溜まりに震えている人達を切り捨てるような「もっと儲けて、もっと豊かに」という弱肉強食の経済の仕組みにも疑問を持たずにはいられません。世界中の大企業やお金持ちやエリート達がもう少し欲を捨て、弱者や自分以外の人の幸せを考えるようになったら、世界は変わってくるのでは、と考えるのは甘すぎるでしょうか。
 精神年齢は子供の頃からほとんど歳をとっていないので不思議な気がするのですが、楽観的に考えて平均寿命迄生きられるとしても人生の77.9%も生きてきてしまったので残念ながら、残りの年月はそれ程長いとは言えません。だからこそ、半歩づつでも世界の一人でも多くの人が幸せを実感できる世の中になって欲しいので、体が続く限りアリの運ぶ一粒程の事でも続けたいと思っています。ま、口で言うのは簡単ですけどね。

3月は ネーブル ハルカ はるみ せとかです。 ジュースの予約も承っております。

月光に応えて香る水仙花