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清家農園みかん山通信(108号)平成27年3月号

 艱難辛苦、青色申告を決算書までこぎつけ、明日はうまく行けば申告書提出です。ウフフ**これで春の気分になれそうです。大概どこかに間違いが見つかりオロオロと直して滑り込みセーフが落ちなのですが。毎年、今年こそ青色申告の話題は止めようと思いながら、余りにも多い???の連続と重圧の日々からの解放の喜びを書かずにはいられません。小者俗人の私にとって申告書提出=春の訪れなのです。やっと肩の荷が下りたはずですのに、何故かなかなか寝つかれずに布団の中で寝返りばかり打っていると、裏山からフクロウの「ホホーホホー」という鳴き声が聞こえてきました。自宅で寝ながらフクロウの鳴き声が聞こえるなんて、なんて贅沢な環境なのでしょうと気がついたりしながら孫達の可愛い笑顔を思い浮かべ、私も闇の中で笑顔を作ってみてようやく眠りにつく事が出来ました。数日前、梅の花が満開になり数えきれないほどの目白が蜜を吸いに来ていました。ミツバチ達も負けじとブンブン賑やかなこと。物干し台から梅の木を眺めていると飽きません。どこの家の梅の木も目一杯咲いていますが誰も梅のお花見はしていません。3月の初めはまだ寒い日もありますし受験や何やかやとお花見の気分ではないのですね。そういえば大学の合格発表の日ももうすぐです。浪人生だった子を含めて高校大学と3人が1度に合格した時、嬉しい半面、お金が続くかしらと心配した頃が懐かしいです。その後何度も子供達の不合格の経験をしましたが、何もかも我慢して、しゃにむに働いて仕送りをしていた日々は、今思えば充実していたのかもしれません。子(私と妹)の為に身を粉にして働いた大正生まれの母が逝ったのは孫(私の娘)の合格を知った次の日。何の親孝行も出来なかった(しなかった)私ですが最後にちょっぴり親孝行らしきことが出来たかもと思っています。私事はさておき3月11日はすぐそこです。日本が、いや世界中の人々が震撼した東北大地震、復興はどうなっているのでしょう。年数が経てば経つ程、再び立ち上がれた人とそうでない人の差が目に見えて広がってゆくような気がします。東北から遠く離れた四国でいくら偉そうなことを言っても何の役にも立ちませんが、故郷を失った人達を忘れてはいけないと肝に命じています。申告が済んだので今年もささやかなみかん便を岩手や福島に届ける準備にかかりましょう。比べるべくもありませんが、気掛かりなことがもう一つ。たった10人の婦人会の役員のなり手がなく、気がつけば去年の続きで今年も役になっていました。気が強いくせに穴だらけで抜けているので断るということがとても下手なのです。まだ夫には内緒ですが、「自分の事も満足に出来ないのに」って言われるだろうなぁ。ハイその通りです。総会の準備の書類も整理しなければ、頼まれた明大マンドリンクラブ公演の切符も売らねば、お彼岸もそう遠くない、茶の間の片付けはどうしよう、野菜畑の準備もある、本業のはるみのセールスもやらなくちゃ、師匠任せのホームページも何とかしたい、たまには本だって読みたい、ゆっくり温泉に浸かって肩こり腰痛を治したい、あぁ!年齢もわきまえず相変わらずやりたい事、やらねばならない事が多すぎる。新聞にゆったりすることが健康につながると書いてあったのに、程遠い日々の暮らし。みかんでもたっぷり食べておこう。まずはみかん山通信を書き上げよう。世界平和と東北復興はUNHCR(難民高等弁務官事務所)へのささやかなマンスリー寄付とアフガンへの救援衣料とみかん発送でこらえて貰おう。以上マンネリ身辺雑記と言い訳でした。 3月は、はるみ、ハルカ、ネーブル、せとか少々、です。4月はデコポン、清見タンゴールの出番です。ジュース、ご予約承り中です。

ほんとのみかん 清家農園 http://mikanyama.com/

いぬふぐり母の忌日の近づきぬ