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清家農園みかん山通信(86号)平成23年11月号

 海の色が深みを増し、空はどこまでも高く碧く、緑色だったみかん山の水玉模様は日に日に濃い橙色となって輝いています。日中はまだ汗ばむ程ですが、秋であることはもう紛れも無く、うんざりしていたはずのあの夏の暑さが懐かしく感じたりしています。皆様お元気でしょうか?春の東北関東大震災、福島原発事故の後、日本人は皆、平和で何気ない当たり前の暮らしが実はとてつもなく貴重なものだった、と否応なく思い知らされた辛さを抱えながら、無力感と戦い、自分を励まして日々を過ごしてきたように思います。戦争という経験をされた方々は、きっとこの思いを六十数年前から充分以上に噛みしめられながら生きてこられたのではとお察し致します。
 随分と重い出だしになってしまいましたがこのことを避けて通ってはいけないのではと思ったからです。あの災害で呻吟されている方々の前では我が家のケシ粒のような営みなど間が抜けたお笑いの様なものに過ぎません。でも我が家は我が家なりに奢らずたゆまず、やれることをやってゆくしかありません。
 今年の11月のみかんは昨年ほど酸味が強くなく食べ易くなっています。実は私、この所ほとんどみかん山に行っていません。「いつもの事」と善一に言われそうですし、次男が帰国し毎日農作業を頑張ってくれているお陰もありますが、それにしても、です。なぜか?それは「ホームページ」の為せる業なのです。勿論私が一人でホームページを立ち上げるなど100年たっても無理な話です。なにしろここ10年間作りかけては挫折の繰り返しだったのですから。人間諦めてはいけません。でも時には諦めることも肝心です。何故ならば、自力では到底無理と、やっと、と言うか遂に、と言うか悟り(悟るまでどうして10年間も掛かってしまったのか自分でも理解出来ない)山口県の萩で「ペンション萩」を経営している協力隊の同期である友人に助けを求めた結果、あれよあれよと事が進んだからです。彼は元メカニックで、本業の傍パソコンに非常に詳しく市のパソコン講師も務めた程の腕前なのですが、迷惑を承知で頼み込んだのです。「全部おまかせじゃなくて、自分でもやりなさいよ」「はいっ!やります!」ということでスタート。彼はシステムを作ってくれた上に私が用意した原稿をそこに入力してくれました。ほとんど出来上がったものに写真を入れ、文を直したり足したりを教わりながらやりました。私にとってそれだけでも非常に大変な作業でした。目は霞み、皮膚には湿疹ができ、肩は岩のように固くなり、頭はズキズキ、思考は朦朧、もう泣きたいぐらいでした。ほんの氷山の一角の作業だったにも拘わらず、であります。まだまだ圧倒的に写真が足らず、写真が無い箇所や原稿がお粗末な所が沢山あり、情報量の少なさのせいか、何となく寂しげな感じで、完璧なページとは言えないかもしれませんが、これから徐々に加えたり直したりしてゆきたいと思っています。膨大な労力と時間を費してホームページを作ってくれた「ペンション萩」の山崎さんと彼がパソコンに向かっている間ペンションの仕事を黙々となさって下さったやさしい奥様に心から感謝致します。

岩手より震災支援の青秋刀魚