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清家農園みかん山通信(83号)平成23年2月現実はこのように厳しいのですが、昨年のアフリカ旅行は束の間の楽しい日々でした。マラウィの次男の職場や小学校を訪れ少し肩の荷が下りたところで、次の日は20q程離れた所にある世界遺産の壁画を洗濯板状のガタガタ道を約1時間揺られて観に行きました。壁画の3q程手前に掛かっている橋が車の重量に到底耐えられそうに無く、車を下りて歩きました。もちろん辺りには一軒の家も無く、草原と登り道を歩く間、私達以外誰一人会いませんでした。やっと辿り着いた岩山の「世界遺産」の壁画はあっけらかんと無造作にそこに存在していました。私達家族3人の全くの貸し切りでした。数千年の時がそのまま止まっているような空間でした。人々はこうして遙か昔から狩りをし、食べ、寝、笑い、泣き、苦しみ、喜び、生活を営んできたんだなぁと壁画と眼下遠方の小さな村とを交互に眺めながら思いました。次男宅に宿泊して3日、官舎の藁のベッドは一つきりで然も狭く、善一と私は寝返りも満足に打てず寝不足で疲労困憊、どこかでゆっくり寝たい。ではマラウィ湖に行ってみようと決定。マラウィは国土の3分の1をマラウィ湖が占めているのです。晩秋を思わせる涼しい標高1500mの任地デッサから又ガタガタ道に揺られ、遠く近く左右に次々と現われる大きなバオバブの木に見とれて2時間、最後にヘアピンカーブのいろは坂をくねくねと下って行くと、どんどん気温が上がって暑くなってきました。マラウィ湖畔はTシャツ1枚の常夏です。湖畔のロッジで清潔なベッドに手足を思う存分伸ばし、本物のシャワーも浴び一泊しリフレッシュしました。こうして1週間はあっという間に過ぎマラウィを去る日。バイクで村々を巡回する農村開発普及員という仕事の次男に、溝状の泥道で事故だけは起こさぬ様元気で帰国してね、と念を押してハグでお別れ。 次の訪問国、善一の赴任国だった38年振りのタンザニアへいざ出発。次号に続く
大枯野世界遺産を隠し持つ
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