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清家農園みかん山通信(84号)平成23年3月

 例年の如く、錆びた頭を呪いつつパソコンとの格闘に疲れ果てた挙句、やっとの思いで青色申告を提出し一人で万歳三唱をしている内に2月は逃げて行きました。辺り一面草が萌え、犬ふぐりが星を散りばめたように咲き乱れ、海を見下ろす斜面は菜の花いっぱい、梅は満開を過ぎてすでに散り始めています。このまま春突入かと思いきや今日は夕方から寒くなってきました。そう言えば、今年はまだ鶯の初鳴きを聴いていません。でも確実に春はすぐそこまできています。今我が家には週に1回経営コンサルタントが来てくれています。新聞広告に載っていた県の地域活性化補助事業に応募して審査に通り、無料で相談出来ることになったからです。7、8年も前からホームページを作りかけては挫折の繰り返しだったのですが今度こそ実現まで漕ぎ着けたいと頑張っています。3月末か4月初旬にマラウイから帰国する次男に清家農園をバトンタッチする為にも今日までの仕事をきちんと検証し直さなければなりません。今迄何となくやってきたことのいかに多かったことかが朧気ながら判ってきました。
待望の(私にとって)ホームページが出来上がった暁には是非ご覧になって下さい。
 先日テレビでマラウイの「おなら禁止令」が不評を買っているというニュースが流れていました。いかにもマラウイ、さもありなんとも思いましたが、国中を走るポンコツ乗り合いバスの車体には日本語で「ふれあい介護センター」「上田町デイサービス」などと書かれたままだったあの国のあの貧しさ、政治家よ、もっとましなことに貴重な時間と税金を使ってよとマラウイ国民ならずとも腹が立ちます。尤も日本の政治家も50歩100歩かもしれませんが。
 前号の続きですが、マラウイの空港の税関で、「マラウイでいっぱいお金を使ってくれてありがとう。又来てね」(レンタカー代が結構高かったのです)と感謝され、「又来るね」と社交辞令を言い、機上の人となって空路4時間余り、最後の訪問地タンザニアの首都ダレスサラームに着きました。ダレスサラームはナイロビ同様大都会になっていて、マラウイが恋しくなる程でした。ホテルのフロントのお姉さんも「私エリートよ」という感じで凄く無愛想で何を頼んでも何もしてくれませんでした。その晩は疲れていたので、昼間JICAの事務所に挨拶に行った時に教えて貰ったホテル内9階にあるタイ料理の店で食事をしました。そこでエビのサラダを食べたのが運の尽き、ひどい食中毒状態になってしまいました。次の日はホテルで寝たきり。でもお隣が昔見覚えのある教会だったお陰で3組もの結婚式、白亜の教会、入り江の青い海、かもめ、夕日眺め放題 街行く人々観察し放題の楽しい寝たきりでした。結局私の外出は次の日病院へ行ったのみ。病院ではJICAの医療コーディネーターに大変お世話になりました。善一は一人寂しく昔住んでいた家や市場を散策。旅の最後に楽しみにしていたお土産ショッピングもしかたなく買い物大嫌いの善一に頼むというさんざんのダレスサラームでした。善一にも気の毒で申し訳無いことをしました。もったいない旅の最後の3泊4日が過ぎ、病院のお陰で体調も戻りドーハ経由で帰国しました。日本は梅雨も終わり暑い夏に突入していました。   ジュース予約承ります。

惜別の春の空港人の群れ