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清家農園みかん山通信(85号)平成23年4月号

 3月11日の未曾有の大災害、地震、津波、加えて福島原発の事故の被害に遭われました皆様、そのご家族及び関係者の皆様には心より御見舞申し上げます。東北はまだ寒さが厳しい事とは思いますが、季節が巡り春がやって来ているというのに、なんと言うことでしょうか。家族を奪われ、生活基盤のすべてを失い故郷に再び戻れないのではないかという不安と絶望を抱いて過酷で不自由な避難所生活をされている方達のことを思うと胸が潰れる思いがします。貧者の一灯と頑張って寄付をしても心の痛みは消えません。一昨日は青年海外協力隊のOV達でみかんの荷作りをして4箇所の避難所に 甘夏みかんを送りました。生憎我が家には甘夏がほんの少ししかないので今回は提供できませんでしたのでとても残念でした。次回には我が家の清美タンゴールを送る予定です。皆で荷作りをしている最中に「マラウィから帰国して吉田に着いたので迎え頼む」と次男から電話が入りバス停に迎えに行きました。彼はOV達の「お帰りなさい」の声に迎えられ、アフリカ人並の真っ黒い顔で早速荷作りの手伝いをしていました。
私自身、本当は飛んで行って炊きだしでも何でもしたいぐらいですが、三日前に庭で転んで鼻より高い顔面を打って「ついでに整形してきれいにして貰えや」と言われる程ほっぺに擦り傷をつくってしまいました。こんな体たらくでは被災地に行っても邪魔になるだけ。有名人のように何億と寄付をすることも出来ません。庶民は庶民なりに身の丈で出来ることに精一杯力を尽くそうと思います。清家農園のある宇和島市吉田町もリアス式海岸です。今回、60p位とはいえ津波が来ました。南海地震も今後30年以内に必ず起こると言われています。満潮と重なれば三陸と同じ被害を受けないとは言い切れません。又愛媛県には四国電力の原発があります。風向きによっては吉田町も安心してはいられません。丹精込めた作物を売ることが出来ない福島や茨城の農家の方達のことも他人事とは思えません。本当に諸行無常が身に染みます。その日その日を悔いなく生きなければ生かされている者として申し訳無い気がします。とは言いつつ現実の私の毎日は後悔で出来上がっているようなものですが。私には4人の孫がおります。この子達のこれからの人生を思うと心配で心配でたまりません。どんな逆境でも辛抱強く希望を失わない人間に育って欲しいと願わずにいられません。また、断じて幼い子等にこれ以上負の遺産を残してはいけないと思います。私達大人が知恵と勇気を振り絞り生活を見直さなければいけない時は今なのだと自覚すべきです。「言うは易し行うは難し」ですが被災者ではなく私達こそと自戒しています。
清家農園も寅さんこと次男が帰国しこれから一波乱も二波乱もあることでしょう。善一も私も、もう一踏ん張りせねばなりますまい。涙を拭いて、転ばないよう気をつけて、頑張らなくっちゃ。フレーッ フレーッ フレーッ 東北!!!

鳥帰る北に希望を届けては