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清家農園みかん山通信(80号)平成22年11月号皆様ご無沙汰致しておりましたがお元気でお過ごしでしょうか?いろいろな事があった方、穏やかな、お変わりない日々だった方、千差万別と思います。我が家もいろいろな事が有りました。秋たけなわ山口よ松山よと孫達の運動会の追っかけも終わった頃から義母がだんだんと弱ってゆき10月7日に安らかに彼岸へと旅立ちました。86年8ヶ月の生涯でした。若い頃から腎臓病を患いここ10年は透析に助けられての命でした。病気がちではありましたがとても気丈で明るく世話好きで新しいことが好きで、びっくりする位声の大きな人で、子供達をとても可愛がってくれました。生涯、近くに嫁いでいる義妹と固い絆で結ばれていたので、嫁の私からしますと「もっと頼って貰いたいなぁ」と思うこともしばしばでした。でも義母が最晩年を迎える頃には「私はどうせ困った時だけのスペアよ」とひがむのは愚かなこと、長男の嫁なのだから1人で看るのが当たり前と知らん顔されるより、『助けて貰って良かった。ありがたい』と思う方がみんなが心穏やかでいられる、と、やっと思い至りました。と見栄を張りましたが、私は人間が出来ていませんので、涙にくれた時もありますし、善一に、文句たらたら愚痴を長々言って困らせた事も度々です。一番辛かったのは善一だったとおもいますが、おくびにも出さず常に私の味方をしてくれました。義母は亡くなる1ヶ月前位前からとても穏やかなやさしい顔になりだんだん仏様に近づいているみたいでした。私が病院から帰ろうとすると辛そうに泣きそうな顔になるので、なかなか立ち去ることが出来ませんでした。義母が旅立って今日でちょうど1ヶ月、心の中にぽっかりあいた大きな穴がまだまだ塞がっていない感があります。清家に嫁いで37年、何たって実の母よりもずっと長く一緒に暮らしたのですから当たり前のことなのだと思います。7月に私達夫婦が二人のそれぞれの昔の任地アフリカのタンザニアとケニア、マラウィ在住の次男の任地に出掛けられたのも、みかんの一番忙しい時を避けて旅立ってくれたのも義母の徳と感謝しています。 秋彼岸無縁仏に野花摘む |