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清家農園みかん山通信(71号)平成21年2月号

 年賀状の葉書を買ったまま1枚も書かない内に、なんと2月になってしまいました。このような場合どんな言葉を葉書に書けばよいのでしょうか?清美タンゴールの実を鳥が突付きに来ています。お隣の奥さんも応援に頼んで必死に袋掛けをしています。デコポンとはるみの袋掛けは既に済んでいます。どちらも狸が荒らしに来ない内に収穫しなければなりません。ネーブルは既に収穫していますがビニールの袋に一つずつ入れて並べて保存します。2千本のジュースのラベル貼りも控えています。晴れの日はみかん山、雨の日は倉庫、と仕事は山程あります。有難いことです。昨日は雨でした。仕事は善一に任せて私は他の認定農家の人達と視察に行ってきました。八幡浜と言う、森進一の歌で有名なバスで30分程の、トロール船団の基地の港町でした。我が吉田町は日本有数のみかん産地ですが八幡浜も有名なみかんの産地です。地域起しの為のNPO法人を立ち上げ、寂れつつある駅前に仲間でみかん直売店を出し、頑張っている女性リーダーのお話を聞き、その後、店の名物のチャンポン麺を食べました。とてもおいしく一同満足して、先程聞いたお話に説得力が増しました。「食」の力は凄いですね。次は、直販農家を発展させ株式会社にして、従業員も雇い大きく成長しつつある農業法人の社屋兼しゃれた店舗に行きました。私は目を皿のようにして品質を確かめ値段をメモしました。とても勉強になりました。そして我が家のみかんに少なからず自信が持てました。矢張、我が清家農園は今迄どおり安全性と味を追求していこうと意を強くしました。社長は販売促進のため全国を飛びまわっているそうです。「俺はやっぱり百姓でありたい」と言っている善一には、生産現場のみかん山から離れた社長業は嫌だろうなと思いました。今愛媛のみかん農家は兼業農家が増え、専業農家は生き残りを掛けて必死に模索しています。栽培面積を増やしたり花や野菜を作ったり、新品種を追求したり、インターネットを使って通信販売を始めたりしています。栽培面積を増やせば収量も収入もおのずと増えますがそれにはかなりの重労働が伴います。朝から晩まで身を粉にして働かなければなりません。今時そのような農家はめったにありません。かといって新品種は当たり外れが有り、通信販売もそう簡単なことではありません。ですから健気な妻達は慣れないパートに出るのです。私はけなげではありませんのでパートに行きませんでした。おまけに、5年も6年も前からホームページを作りかけては挫折して未だに出来ていない有様なので、営業係としても今一つ胸を張れないところがあるのですが、清家農園のみかんをお求め下さっている皆様のお陰で、けなげとは程遠い私ではございますが、大きな顔をして今だ妻の座に居座っております。と言う訳で、今日は夫婦で吉田町国際交流協会で主催する「世界の料理教室」に行って来ました。会場は吉田中学校。家ではたいした料理もしていないのに中学生に「ああして、こうして」と一緒に料理してきました。当国際交流協会の青少年海外派遣に参加したりホストファミリーになってくれたり、熱心に親子で協力してくれていた家庭のお母さんが料理をしながら「息子が高知大学国際社会コミュニケーション学科に合格しました」と、嬉しそうに報告してくれて、私達もとても嬉しく幸せな気持ちになりました。

生き残り賭けて産直みかん園