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清家農園みかん山通信(56号)平成18年11月私は献眼登録をしています。ドナーカードにも移植OKと書き込んではいますが、献眼はともかく、脳死移植に対しては何の迷いも無いわけではありません。私の体の一部が死後どなたかのお役に立てるのでしたらそれはそれで嬉しいのですが、心のどこかで、内臓のパーツ化を感じてしまうのを否定できません。この事件をきっかけにみんなが移植について真剣に考えるようになる事でしょう。 さてさて清家農園一方的近況報告でございますが、5月にドラ次男坊が大学院を卒業だけ!はしました。善一の還暦祝いを兼ねて、アリゾナの卒業式に格安チケットで行って参りました。卒業式自体はまるでアメリカ映画を観ているような荘厳で素敵なものでした。式の間中演奏されていた『威風堂々』が印象的でした。(マーボ豆腐のコマーシャル音楽)これでドラさんの就職が決まっていましたら、めでたしめでたしなのですがそうは問屋が卸しゃせず、「これからどうするつもりなのやら」と心配し、不甲斐ない奴と思いながらガウン姿に感動するという誠に複雑怪奇な心境でした。帰国後家を追い出されたドラさんは今ほとんど寅さん状態で、英語や修士号はどこかにしまい込んで埼玉の工事現場で働いています。念願だった協力隊はまたもや健康を理由に(おそらくIgE値・アレルギー)で不合格でした。花粉症気味以外ほとんど本人に自覚症状はなく、文明国で暮らすには何の問題も無い値ではあるのですが、医療水準の低い途上国で暮らすには、万が一の事を考えると保証できないという事なのでしょうか?アメリカから帰国し夜行バスで吉田に着いた翌日に健康診断を受けたせいでしょうか?気を揉んでいるのは馬鹿な親ばかり、ご本人はさてどのようにお考えか???皆目解りませぬ。息子とは言え、いい歳した大人に対していつ迄たっても子離れ出来ないお恥ずかしい話でした。青いテントで上野のお山に住むようにならない事を切に願っています。でも正直なところ仕送りから開放されたのは非常に嬉しい。『お米ぐらいは送ってあげるからドラよ!はよ無念から立ち直って就職口探しなさいよ』 可愛い孫達のことを書きたかったのに能天気な次男の愚痴で紙面が尽きました。 運動会よさこいソーラン風に乗り |