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清家農園みかん山通信(52号)平成18年1月号

 新年明けましておめでとうございます。皆様よいお正月を迎えられたこととお慶び申し上げます。こちら清家農園は長男家族が九州の小倉から帰省し4歳の孫 邦生(なお)を中心にしたなごやかなお正月でした。年末は30日までみかんの箱詰めと発送に追われました。(善一は31日迄みかとり)30日午後からは大掃除。
孤軍奮闘、足の踏み場も無い程散らかった茶の兼事務室を必死に片付け、来客用とこたつ布団を干し、トイレを掃除し落ち葉だらけの庭を掃き、あちこちの埃を目立つ所だけ拭き、二階に駆け上がって部屋を整え、掃除機をかけ、目が廻りかけた処に長男ファミリー到着。庭には落ち葉の山がそのまま、玄関には汚れたぞうきん、台所はほとんど手付かず、応接間には一週間分の洗濯物が畳みかけで山となり寝室は見るも無残な有様、あとの部屋は推して知るべし。きれい好きな長男夫婦を迎えるにはなんとも不本意な惨状でありました。実は暮れの28日に今治に住む娘が片付けに来てくれるはずだったのですが、7ヶ月になる孫娘の明衣(めい)が熱を出して来れられなくなってしまったのです。一人っ子の邦生は「明衣チャンの面倒を見るんだ!」と張り切っていたのですが残念ながら半年に一度のご対面は実現しませんでした。長旅で疲れているでしょうに嫁の並ちゃんはすぐに割ぽう着姿で茶の間に現れました。「お姑さん何をしましょうか?」並ちゃんのその一言で、私の12月に入ってからずーっと張り詰めていた緊張の糸がぷっつーんと切れてしまったらしく「ありがとう、助けてね」と甘ったれた姑丸出し。並ちゃんは長男とお墓と仏壇を掃除しお花を供え、洗濯物を畳み、台所のガス台をピカピカに磨き、次から次へと片付けてくれました。私は強力な助っ人に家を任せ邦生を連れてお供えの鏡餅とみかんを持って山道を下ってお寺に向かいました。和尚様はご病気で入院中ですが邦生の父親やその弟妹が幼い頃から可愛いがっていただき、お習字を習ったりいたずらをしたり、お菓子を目当てのお抹茶をいただいたり、ゲンコツを貰ったりした本堂にお参りをしました。自分の体ほどもある大きな鐘や木魚に興味津々の邦生。奥様から「たたいてごらんなさい」と言われて目を輝かせて「ポクポク、チーン」と大喜び。「一日早いけど」とお年玉迄いただいて、坂道も何のその帰ってきました。庭に戻ると落葉の山に気付き「焼き芋しなくちゃ」と言い出し、やす子バァちゃんはいそいそ芋を落葉の中へ。「煙たいねー。」などと孫と言いつつ遊んでしまいました。手早く片付け掃除を終えた並ちゃん、長男も交えて楽しい焼き芋作りでした。善一じぃちゃんは邦生にせがまれて一緒に伊予柑とりのお元旦。並ちゃんの大活躍のお陰で楽しいお正月が迎えられとっても感謝しています。入らずの間にしていた私達の寝室を邦生がのぞいて「何とかせにゃあ」と言いました。このみかん山通信を書き終ったら一番に「何とかせにゃあ」と思っています。

初春の孫と寿ぐ平和かな