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清家農園みかん山通信(165号)令和6年12月号

 「いつまでこの暖かさが続くのだろう、そろそろみかんを採らなければ12月の半ば迄に採り終わらなくなる。でもこの暖かさでは貯蔵庫の中でみかんが腐ってしまう!」と息子は悩んでいました。11月の半ば過ぎからやっと温度が下がり始め本格的な収穫をスタートしましたが、みかん採りのパートさんがなかなか見つからず困っています。今年は吉田町近辺のみかんは近来にない不作です。気温の寒暖差が無いので着色も遅れています。ところが我が家のみかんは何故か良く成っており味も着色も良かったのです。よく考えると去年のみかんは不作で見た目も悪く味も今ひとつパッとしなかったのでお客様には申し訳無いと思いながらお送りしていました。その代わりに愛まどんなは沢山成っていました。しかし今年のまどんなは殆ど葉っぱばかり。あちら良ければこちらが立たず。なかなかうまくいかないものです。工業生産物と異なり自然を相手の農業は気候、天候の影響をもろに受けるリスクを背負っています。農家にはそのリスクをいかに分散し最小限に止めるかの力量が問われます。仕事が早く、みかん栽培のベテランだった夫がこの夏旅立ち、残されたのは、ここ10年みかん山には殆ど行かず、営業&事務専業おババの私と、やたらと長い学生生活を送った後、JICAのボランティア活動を経てUターンして来た中年かつ独身の次男との2人。まるで綱渡りのような11月のみかんシーズンを過ごしてきました。
コマーシャルの「24時間戦えますか」の時代以前に産直を始め、「接ぎ木の活着率も100%近いし、どうしたら善さん(夫・善一)のように苗木をそんなに早く大きく出来るんか教えてや」と技術や品種構成を問われたり、50年近く埼玉&東京へ地球を1周する程の距離をみかん配達に走ったり、時代を駆け抜けるように働き続けた夫と違い、現在のワークライフバランス時代の次男は、私に似て少々仕事がゆっくりで、栽培の技量もまだまだなのですが、彼は彼なりに頑張っています。最盛期のこの12月をどう乗り越えてゆくかと煩悶しつつひたすら仕事に没頭する日々です。みかんのお陰で涙にくれる暇がないのでありがたいと思っています。でも正直に言えば、12月に入ると、ラジオのクリスマスソングに飽きながら、夫と向かい合って夜遅くまで選果と箱詰めをしていた頃を思い出します。パソコンが無かった頃は選果が終わった後ふたりで夜中まで手書きで送り状を書きました。お勤めのお宅とは違い、殆ど1日中一緒に過ごしていたので、よく喧嘩もしましたが、農業の「の」の字も知らない人間が、埼玉の下町からみかん山のてっぺんの代々の農家の長男の所に、「向こう見ずにもやって来た」と思ったのか、屏風のようにいろいろな波風から私を守ってくれていました。ジェンダー問題を自覚している方々からは「なにを言っているの、対等なのだから守ってもらうなんて駄目でしょう」と怒られるかも知れません。婦人会や国際交流協会や趣味の仲間達からは「トットちゃんみたいなあなたはこの村社会で随分と自由に生きてきたという自覚が足りない」と言われそうです。災害や戦争や事故や病気で大切な人を亡くされた方達に思いを馳せ、遅まきながら夫に感謝です。
みなさま、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
     ほんとのみかん清家農園

どの星に夫は在るらん冬銀河