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清家農園みかん山通信(162号)令和6年3月号

 庭中埋め尽くすように咲いていた水仙が数日前の強い雨か、季節外れの暖かさのせいか気が付くと殆んど見えなくなってしまいました。玄関もトイレも「自然の芳香剤だ、しめしめ」と水仙だらけにしていたのですが、早すぎる終了にガックリです。今年は2月が29日まである閏年なので1日得した気分なのですが、1日増えただけなのでやり残した事が全て出来た訳でもなく、相変わらず自転車操業風宿題満載の日々です。このままではあの世までやり残した仕事を持っていかなければならないかもしれません。と思いつつ、可愛い芽を出したチューリップの鉢をああでもないこうでもないと日陰から日向に移したり、長電話をしたり、随分前の新聞を立ったまま読みふけったり、罪の意識に苛まれながら無駄な時間を費やしています。
一番気になっているのは終活です。古い農家に嫁ぐのだからと、お金持ちでもないのに、母が持たせてくれたタンスいっぱいの着物、本棚から溢れている本、パソコン関係のあれこれ、蔵に眠っている先祖伝来の漆器や陶磁器、使い切れない戴き物、箱に収まったままの鍋類、老後に楽しみながら縫い物をしようと押入れや衣装箱に詰め込んでいる布、子供や孫達が泊まった時の何組ものお仕入れいっぱいの布団類、長持ちの中にある何十枚もの座布団、一体何処から手を付ければいいのでしょう。長男長女はそれぞれ家庭を持ち実家の物には関心がありません。家を継いでいる次男は独身ですので尚更です。思い切りの良い友達は「みな捨てるのよ」と言いますが私には出来そうもありません。テレビで断捨離の番組がありますが、身に詰まされながら焦ります。私も父母亡き後実家の整理に愛媛から埼玉に何回か通いましたが、母は質素に暮らしていましたし、生前殆どの物を整理してお葬式の準備まで済ませていましたので、娘として大変助かりました。
 ところが、我が身といえば、本来は片付けが好きだったはずが現状は惨憺たるもの。毎日の仕事を追いかけているのが精一杯の毎日。残された時間と体力には限りがあります。仕事を放り出して、毎日片付けばかりしたいのは山々ですが、夫が引退した今、手助け無しでの経営を次男一人でというのは今のところ無理そうです。なんとかせねばと思いながら日々が過ぎてゆきます。「家の整理はもういいからね。お母さんが死んだら片付け屋さんを呼んで始末するから楽しい事すればいいよ」と長女が言いました。「お言葉に甘えて」と言いたいところですが、親としてそれでは余りにも恥ずかしい話なので、全ては無理としてもできる限りの整理はやらねばと自分を叱咤激励しています。まぁこんなに早く一生が過ぎてゆくなどと若い頃には想像も出来ませんでした。災害や戦争で着の身着のままで避難所や難民キャンプで生活している方達から叱られそうです。梅が散り桜にはまだ早く庭に咲く花も少ない春の訪れが待ち遠しい日々ですが、やがて確実に来る春迄元気に過ごしましょう。
       4月は清見タンゴール デコポン ジュースです。

春雨や夫との逢瀬15分