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清家農園みかん山通信(149号)令和4年2月号

 年末の忙しさに依る後遺症の燃え尽き症候群、などと勝手に理由をつけて積極的に営業にも励まず断捨離も行わず、寒い々と引きこもりつつ、それでも営業係おババとしてのささやかな自負を捨てきれず、カイロやお灸の助けを借りパソコンと計算機に向かう日々。この儘ではロコモティブシンドロームや廃用症候群で寝たきりになってしまうと、イノシシ避けに道端に落ちている棒を拾って振り回しながら近くのダム湖畔のウオーキングをたま―にやっているうちに、まだ12月の事務清算も終わっていないのに1月が終わってしまいました。今でも、月の終わりには「勉強が追いついていないのに明日は数学の試験」という気分になります。「為さねばならぬ事ばかり」と思いながら一生を終えるのは情けない事この上ないので、性懲りもなく「今年こそ」「今月こそ」と思ってしまいます。実際は思うばかりですが。
 少々言い訳がましい話で恐縮ですが、お正月には2年ぶりに家族や親族と再開できた方達が結構居られたのではとお察しします。楽しかったお正月が終わり、「さぁ新たな気持で頑張っていきましょう」という矢先オミクロン株の暴走が加速し、背筋がゾッとしました。幸い何事も起こりませんでしたが、後悔されている方もいると思います。家族と久しぶりに会うという当たり前の事さえも、もしかして被病しているかもしれない、誰かに移してしまったかもしれないと何となく後ろめたい気持ちが拭いきれない生活は、人類がウイルスに支配されていることに他なりません。人間も生物の一種に過ぎないのだとつくづく思い知らされている気がします。とは言え我が家は過疎地かつみかん山暮らしの農家の環境で、ほとんど人と接触が無いのでこんな呑気な事を言って居られるのです。エッセンシャルワーカーの方々は勿論、一般の人々も都会に済む皆様は沢山の人々の中で暮らさなければなりませんし、子供達は毎日学校に通い教室で何十人も一緒に過ごしています。人間は今とても苦しんでいますが考えれば他の動物も皆苦労して生きているのかもしれません。近くのダム湖の鴨も、浮寝鳥などと呼ばれ気楽そうに見えますが、数千キロの旅路を経て北の国からやって来て、また数千キロを帰ってゆきます。一生のうちに何往復するのか判りませんが大変な生涯と思います。鳶は上昇気流に乗って空に浮かんでいる姿は楽しそうですが、カラスに追い払われたりしながら食料を確保するのはそう簡単ではないでしょう。反対に隣の家の犬は、一人暮らしの飼い主に夕方散歩に連れて行って貰える迄1日中鎖に繋がれ切なそうに鳴いています。自由とは程遠い辛い人生(犬生)ですね。鶏も放し飼いはともかく大概は狭いケージに閉じ込められて、一生卵を生み続けたり食料にされたり、鳥インフルエンザで処分されたり、豚はせっかく丸々と太っても末は、、、牛は子牛に飲ませたいお乳を搾り取られ、哺乳類を除く海の生態系の頂点のマグロでさえ捕獲され「うまいうまい」と食べられてしまいます。蝉は7年も暗い土中で過ごし地上ではひと夏だけきり生きられない。同じ生物とは言え比べるべきではないのかもしれませんが、でもどこかで繋がっている気がします。ウイルスとも上手に共存しなければいけないのでしょうか? どうぞ1日も早く安心して暮らせる日が来ますように。
3月は、 はるみ せとか ハルカ デコポンです。  みかんジュースも用意できそうです

春を待つシルクロードの絵を買ひて