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清家農園みかん山通信(140号)令和2年11月号

 あっという間に月日が経ち11月になりました。と書きつつ、今年は年明けから新型コロナ禍があり、生活様式を未知の新しい感覚で過ごさなければならなくなったので、いつもの年より時間の流れを長く感じた様にも思えます。田舎暮らしの人々にとってはコロナの脅威はそれ程身近で逼迫したものではなく、私などたまに街のスーパーに買い物に出掛ける時にマスクを掛け備え付けの消毒液を入出時にたっぷり手に擦り付ける程度の変化なのですが、なんとなく頭や肩の上に荷物が乗っているような重苦しい感じがしているのは否めません。実際、日常に変化がないと言えばそうでもなく、毎年の楽しみの子供や孫達の盆帰省もありませんでしたし、最近、会食や旅行はしていません。都会の方達はこんな悠長な漠然とした不安などではなく毎日の暮らしに緊張と不安、不便を強いられているのかと思うと同情に耐えません。単身赴任中の長男も家族と8ヶ月余りも会うことが出来ず、医者で介護施設にも関わっている娘はコロナ対策で心身をすり減らす毎日を送っています。
一病持ちで、自覚は乏しくも高齢者である私など、もしコロナに感染すればイチコロという保証付きですので、なるべくみかん山に隠遁して居るのが得策というのは明らかなので、ここは一つ辛抱するしか無いと自分に言い聞かせてはいますが、子供の頃から今日に至るまで奥ゆかしい、おしとやか、しおらしいという言葉とは縁が無く全く大人しくない、好奇心丸出しババにとって実に不自由、不本意な昨今です。持久戦に負けないよう、時々ささやかな息抜きをして楽しみを見つけながら暮らそうと思いながらも、雲ひとつ無い青空のような心持ちに皆がなれるよう待ち焦がれて居ます。と云う訳で舌の根が乾かぬ内に10月は千客万来、一番乗りは、ドクターヘリ看護師。「どうしてもみかん狩りをしたい」というTel有り「うちは観光農園ではないのですが」と言いつつ断りきれずに受諾。さすが空飛ぶ看護師。愛車フィアットに乗ってその日のうちにすっ飛んで来た。楽しげにみかん狩りをして「また来ます」と松山に帰って行きました。2番目は宇和島沖の嘉島に住む元ハマチ養殖漁師であり歌人でもあるMさん ファミリー。35年前に夫善一がPTA会長をした時に同じく嘉島の会長をしていた彼と友達になりそれ以来家族ぐるみでお付き合いをしています。35年の間に子供達はかっての親の年齢となり子供達を連れての来園。まだ結婚せず独身のままの人(我が家の次男)も居ましたけど、、、特筆すべきは松山に住む娘の末っ子あっ君が若干8歳なれど張り切って初めての一人旅。汽車に乗り、泊りがけのみかん狩りに挑戦。帰路無事に松山駅に着いた時は迎えのママの顔を見た途端に目から水分が溢れてしまったとの事。3番バッター、松山からの不登校生12人。みかん狩りの後でちゃっかり農作業の堆肥撒きを手伝わせてしまいました。それぞれ理由が有り学校生活に苦しみ、馴染めないのでしょうが、皆気の良い子。将来幸せな人生になります様に。次は国際交流協会のハロウィンのお菓子作りと袋詰め。吉田町内すべての小学生と保育園幼稚園児に配りました。忙しいと言いながら本業をサボり結構楽しんだ10月でした。
12月は温州みかんと愛(紅)マドンナです。

八歳のひとり初旅みかん狩り