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清家農園みかん山通信(139号)令和2年4月号

風も光も明るさを放ち、野も山も春を彩り、人々の心も何となく浮き立ち、進学や就職転勤と新しいスタートをした方達にとっても、希望に燃えた輝ける4月、のはずでした。
ところが何ということでしょう、実際は世界中がコロナウイルスの脅威におののいています。自分自身のウイルス感染ばかりでなく気が付かない内に加害者になる可能性も有り、神経の擦り減る日々が続いています。3月号に、沖縄で行われた夫のOB会に参加した事を書きました。運良く参加者の誰も何事も無かったので胸を撫で下ろしていますが、年甲斐もなく無謀だったと今更ながら反省中です。非日常の大きな事が起こった時にこそ、その人の人間性がもろに出るのだと、我が身の軽率さを恥ずかしく思っています。
日本の人々に楽しい笑いを与えてくれた志村けんさんが数日前にコロナウイルスで亡くなられました。3年半の間に生んだ3人の子供達(何をしても間に合わない愚図な私が、出来不出来はともかく、ひと様より手早くすませたのは唯一これだけです)が育ち盛りの頃、歳の差の無い3人の子育てと慣れない農作業に追われ心がささくれ苛立った時、ドリフターズや志村けんさんの笑いに親子共々どれだけ助けられたことか。今また、志村さんが身を以てコロナの恐ろしさを教えてくれた事実にいたたまれない気持ちです。
と殊勝なことを言いつつ舌の根が乾かぬ内の告白。3月29日の日曜日近所の友達から「お花見をしよう」と誘いが有り、街へ出るときの通り道の傍らにある、歩いて5分の、誰も訪れないダム湖畔でおば(あ)さん4人山桜を眺めながらお弁当を食べました。友達が座布団から手作りのちらし寿司、自分で栽培しているミニトマト、インスタントのお吸い物とお椀迄持ってきてくれました。お弁当代を払おうとしましたら昨年秋に手術をした私のお見舞いも兼ねているので「いらんよ」 ですって。お言葉に甘えご馳走になり、とりとめのないおしゃべりをして解散しました。とっても楽しい息抜きでした。事程左様に軽率不用心な私が何も言う資格はありませんが、日頃心の奥深くに眠っている本音が出るのは緊急事態や思いも寄らない大きな困難に見舞われた時だと思います。世界中で日本人も含めてアジア系の人々が差別を受けていると新聞に出ていましたが,「さもありなん」の感があります。私をお花見に誘ってくれた友達のように、世界中が心の温かい人ばかりでしたら、人種差別も戦争も起こり得ないのですが、そうはいかないのが現実の哀しいところ。ともかく今早急に乗り越えなければならないのは新型コロナウイルスです。月に着陸できるほどの科学の力で何とか解決できないのでしょうか。日本は勿論のこと無防備に近いアフリカや開発途上国にまで蔓延したらどれ程の人が犠牲になるのか想像するだに寒気がします。庶民の出来ることは用心に用心をしてコロナに罹らないよう努めることでしょうか。どうぞ頭の良い研究者の皆様頑張ってよく効く薬を作ってください。
四十数年来、夫善一は埼玉にトラックで販売に行っていますが4月はコロナの影響で決めかねています。世界中で仕事をしている人達への影響が出ています。
コロナの収束が1日も早からんことを!!!
5月6月はポメロと1gみかんジュース 720mlミックスジュースです。

さくらんぼ悩みもせずに咲きそむる