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清家農園みかん山通信(136号)令和2年1月号

  明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
 皆様良いお正月を迎えられた事と存じます。我が家の例年は長男長女一家が帰省して、てんやわんやのお正月なのですが、今年は私の体調を気遣った娘の「私の家に泊まれば」という申し出に甘えて、30日は長男が予約していた松山のホテル、31日は受験生の居る娘の家に泊まり、もう1泊したいという長男の子供達の希望で急遽また別のホテルを探して1泊とジプシーのような3日間でした。これと言って名所見物や、イベントに行くことも無く、ただ一族でワイワイ集まって、男性陣に孫達の世話を任せのんびり温泉に浸かっただけなのですが、それだけでも楽しく、寝具や食事の世話も一切せずに済んだ楽な年末年始でした。
後遺症としては、例年、年末に死に物狂いで片付けと掃除をして子供達ファミリーを迎えるのですが、昨年末は体が大事、ケセラセラと出掛けてしまったので未だに家は悲惨な状態です。家に戻れば仕事優先になり「これではいかん」と思いつつ、はや明日は七草。「時間よ止まれ」の心境です。今年の目標はやはり「始末」が一番。「叶わぬ夢はやめなさい。体が一番」と私に言いながら、娘自身は寝る時間を削っても家をピッカピカにしています。不肖の母とは云え、まだ恥の心は多少なりとも有りますので、これ以上体も脳も衰える前に「始末を!!」と焦るのです。すごく偉大な仕事や人々の為に尽くした功績があれば、「あれだけの事をしていたのだから家の中の事まで手が廻らないよね」となりますが平々凡々、ただあたふたと暮らしているだけですので言い訳ができません。仕事の合間に体と相談しながらコツコツと少しずつ片付けるしか有りませんね。と言いながら後ろ向きなことばかり考えているなぁと思いました。なぜかというと昨年末にアフガンで無念にも銃弾に倒れた中村医師と同じ年だからです。彼は数十年先を見越して、世界中から見放されていたアフガニスタンの人々の為に命懸けで灌漑事業を進めていました。祖父は愛媛出身で「花と龍」のモデル、叔父は芥川賞作家の火野葦平、父親は「電力の父」松永安左エ門の書生をしていたそうです。私の母は看護学校に入る前に、短い間ですが松永邸で行儀見習いをしていた頃が有り、中村医師の父と同年代ですので、同じ空間に居た可能性も有りもしかしたらすれ違ったことがあったかもしれません。その子供達。片や婦人会の仲間と細々とアフガン救援衣料を送り続けるのが精一杯のおばさん、片や医師でありながら10万人の農民が暮らせる灌漑事業を成し遂げアフガニスタンの大統領も一目置いた活動家。
同じ歳月を活動し生きながら、才覚と覚悟と実行力、この何たる違い。何たる差。次男が青年海外協力隊の任地マラウィから帰国して家業のみかん農家をやりはじめ、夫と衝突ばかりして家を出たり入ったりを繰り返していた頃「ペシャワール会に入ってアフガニスタンに行けば」という言葉が喉元まで出掛かりましたが「もしも」のことを思うと言えませんでした。結果、未だに衝突を繰り返しながらみかん作りをしています。私達夫婦にとって、中村医師は、昨年10月に亡くなられた緒方貞子さん同様、憧れの星であり夫や私がやりたいと願い思っている事を代わりにやって下さっている方でした。本当に本当に残念でなりません。
毎年夫が中高生を引率し訪れている、カンボジアで地雷処理をしている高山さんもどうぞ命を落とされませんように。夫は今日も「一日も早くカンボジアかベトナムに行ってミカン栽培の指導をしながら暮らしたい」と言いながら実行に踏み切れずにみかんの選果をしています。
愛(紅マドンナ)、みかん、沢山収穫できました。ご注文お待ちしております。

萎えし吾に冬芽よ喝を入れ給へ