清家農園みかん山通信(121号)平成29年4月号
光はすっかり春になり鶯は賑やかに鳴いています。でも庭先のチューリップは躊躇してまだ蕾のままです。5年前から細々と続けている岩手と福島への応援みかんをやっと送付でき束の間ホッとした処、カンボジア地雷処理の高山さんのNPOから誘われて、お花見に行ってきました。松山までの高速道路沿いの山々は微笑もうかなぁと思案中。会場の公園の桜は早咲きの1樹のみ満開。他の木は一つ二つと咲いているのをみつけるのが精一杯。カンボジアから来日したスタッフや友人は寒さに驚いていました。私達夫婦や高校生がお世話になったミェンさん(高山さんの片腕)や食事をご馳走してくれたシラさんとも再会し話に花が咲きました。ところが途中から雨が降り出し残念ながら散会となり、続きは事務所でぎゅうぎゅうすし詰めで談笑。下心あって誘った娘ファミリーは子供連れでしたので間が持てず、私達も早めにお暇しました。私の魂胆は、小学校の高学年になった孫達にいろいろな国の様々な境遇の人達に接する経験をさせたかった事と、娘にも高山さんの支援者になって貰いたかった事です。同じ在住カンボジア人でも、研修生や実習生(実質は低賃金の出稼ぎ労働者)と留学生とでは住む世界が違います。日本人も、働けど々貧しさから抜け出られないワーキングプアーと富裕層とでは全く生活が異なっていますが、途上国と日本とではチャンスと選択肢の多寡の差は計り知れないものがあります。祖国と遠く離れた、愛媛県の在住外国人にも厳然と存在する格差。何不自由無く暮らしている孫達が気付いてくれたらと願っています。前日「夫婦喧嘩した後だから泊まらないでくれる?」と言う娘からの電話に「あなたが悪いに決まってるでしょ。彼に誤りなさい。私からも我儘な娘で済みませんと謝ろうか」「実家が味方になってくれなかった」ということで夫婦喧嘩はあえなく終了だったそうで、無事泊めて貰い翌日、じいじが四十数年朝星夜星で働き詰めに働いて、初めて買った新車のセレナで空港までドライブ。孫のアッ君ルンルンでした。(私は狭いみかん山の道を走るのは古い車のほうが気楽でいいのですが、死ぬ迄に一度はトラック以外の新車に乗ってみたいとのじいじのご希望に添いました。)そろそろ現実に戻ってまたシコシコ働かなければと思っていると、それを察したのかあっ君、「ばあばお散歩しようって言ってたよね」とのご指名。軽く近所を周るつもりであっ君の後を追う。手を繋いでのんびり歩いているとあっ君すたこらさっさと海抜113m垣生山に向かいます。4歳半とは思えない軽い足取り。プックリお尻と幼児特有のX脚でぐんぐん登ること。会う人毎にご挨拶。ばあばは息を切らして付いて行く。「上に遊ぶ所があるの」次第に人がすれ違えない程の山道に。「ばあば、心臓痛くない?」と振り返っては私を労り、無理ならば引き返しても良いとの素振り。ここで止めてはバアバがすたる。ついに頂上。松山空港が見える。その先は光る海。二人手をつなぎ、しばし光る海を眺める。「お家も車も小さくてトミカ(おもちゃの車)みたいだね。」しみじみとあっ君が言う。反対側を見下ろすと「あっ君のお家が見えた」と嬉しそう。遠くに松山城も見える。感動共有感無量。鶯の鳴き声を聞きながら下山。アフリカのキリマンジャロ登頂、アメリカのグランドキャニオン、南の島のサンゴ礁、アラスカの氷河、南米のマチュピチュetc。あちこち行ったけど今日あっ君と手を繋いで眺めた景色が一番素敵だったよ。あっ君のプックリお尻を見ながら登った往復1時間の山道の旅が今迄の、どんな旅よりピッカピカ輝いているよ。
生涯一番の宝物の思い出をありがとう。
5・6・7月は清見・ポメロ・ジュースがございます
春の山案内人は四歳半