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清家農園みかん山通信(119号)平成29年2月号

 着膨れて、モタモタしているうちに寒が明け、明日は立春です。光の中にほんの少しずつ春の気配が感じられるようになってきました。毎年一番早く蕾を開く梅の一枝が今年もやはり一番先に咲き始めました。楚々として可憐、桜のように派手やかに咲き誇ることもなく、桃ほどの愛嬌をふりまきもせず、かと言ってひっそりでもなく、素直に自然の営みに従って巡る季節のままに蕾を付け膨らませ、花を開き、実を成らせ、叉蕾を付けることを毎年繰り返しています。若い頃は繰り返すことにあまり深い意義を感じませんでしたが、歳を重ねてみると、繰り返すことの重さ、凄さを思う様になりました。勿論、何歳になっても新しい事にチャレンジするのは、素晴らしい事とも思っています。
さてカンボジア珍道中の続編。地雷処理の高山氏の宿舎に無事着いた一行は早速、十年前に高山氏が留守の折地雷事故で亡くなられたデマイナーを祀る祠にお参りしました。その家族や、地雷で両足を失いながらも立派な竜眼畑を経営している方(昨年善一と意気投合してクメール語と英語で接ぎ木談義をしていた)宅を訪問。その後地雷の爆破処理の見学、暑い中精力的に研修に励み、夜は飛び入りの愛媛県女性職員に部屋を先取されて、善一と高校生の大ちゃんは外の屋根付き壁無し東屋で、夜警のおじさんと一緒にハンモックにて就寝。流石に七十歳の善一には体力的にこたえたらしい。朝の4時に鶏のコケコッコーと近所のお寺から流れる大音量のお経の放送(高山氏に言わせると慣れると心地良いそうな。)に叩き起こされ、いざ2日目の研修へ。愛媛県今治市名産の着物を包むたとう紙や、日本の100円ショップで売っている慶弔袋(今治名産の水引細工を日本人が指導し、現地の若い女性が繊細な手で上手に作成)企業の見学、小中学校訪問交流で、折り鶴や持参したリコーダー指導など。高山氏の宿舎前に建てた日本語教室では浴衣を着たり着せたりSNS交換等、若者同士の親密な交流を体験。(後日、大ちゃんは、高山氏宅のお手伝いさんから返信が来なかったのは携帯やスマホを持っていない為と知りカンボジアの貧しさに気付いたと言っていました。)研修3日目は、急きょ出掛ける事になった高山氏と慌ただしくお別れし、宿舎を後に。秘書兼通訳兼キャッサバ酒工場(産業振興のため高山氏が庭先に作った工場。試行錯誤の末やっと軌道に乗りカンボジアの空港などで販売している。日本での販売進出も準備中)責任者のミェンさんの案内でバッタンバン市に向かいました。途中、イスラエル人が経営するぶどう畑と胡椒栽培を見学し、バッタンバン大学へ。ミェンさんの知り合いの教授と柑橘の栽培や病害虫などについて語り合った後、ミェンさんと別れシェムリアップへ。船でトンレサップ湖の海上生活者見学。高校生達はこんな生活もあるのかと衝撃を受けた様子。少しは観光も、ということで翌日は待望のアンコールワット見学。若者達は暑さを物ともせず世界遺産を楽しみ夜はカンボジア民族ダンスの鑑賞。翌朝一行は再びバンコクへ。ワット・ポーでお釈迦様の涅槃像の大きさに驚き境内でタイ式マッサージも経験。翌日、無事愛媛に帰国。しっかり者のミクちゃん、マイペースの大ちゃんの高校生達二人は、人生観、世界観が少し変わり、ちょっとお疲れ気味に見えた善一は、来年も中高生を連れて行くぞと張り切っています。

2月【はるみ、ネーブル】 3月【ネーブル、はるみ、せとか】です

微かなる希望抱けば梅二輪