清家農園みかん山通信(122号)平成29年11月号
春から夏の間、秋のみかん穫りが始まるまでにあれもしておこうこれもしておこうと毎日のように心づもりはしていたのですが、思っていた事の10分の1きり出来ない内に、秋が来ました。今年は10月に強烈な台風が2度もやってきてみかん山を散々痛めつけて去っていきました。風に通られ揉まれた年寄りの木と若木は根を痛められ、力尽きて横倒しになりました。収穫前のみかんはちぎり飛ばされ、枝にこすられて穴が空いたり擦り傷ができたりしました。東向きの園地のポンカン畑はポンカンの絨毯を敷いたようでした。正直に言いますと泣きたい思いですが、幸い、仕送りが必要な年齢の子供も無く、稲刈りが終わっていた田んぼの米は今年は珍しく豊作でしたので、食べるお米には困りません。野菜も無農薬の七色畑があり、ほとんど面倒も見ないのですが家族が食べる程は収獲出来ますので、飢える心配はありませんし、この土地を追われる訳でもありません。東北の地震や津波、福島の原発事故による被害、熊本の大雨被害、アフリカの旱魃やテキサスのハリケーンのことを思えば被害は微々たるもの。嘆いてばかりいても仕方ありませんので、悔しがりつつ台風の後始末を終えた後は、いつものように仕事をしています。10月末に、20年近く前から行っている国際交流協会のハロウィン祭り「今年は穫るみかんが少ないから体が楽だね」と負け惜しみを言いながらの準備でした。今回は325人の子供達が楽しんでくれました。準備と当日の運営、後始末となかなか大変ですが、みかん山で嘆いてばかりいるより精神衛生上良かったです。国際交流協会といえば今年の夏も善一は中学生を引率してカンボジアで地雷処理をしている高山氏を訪問しました。愛媛県出身の海外協力隊員の活動現場も訪問しました。中学生達はトイレットペーパー無しで洗面器で水をすくって自分の手で洗う手動水洗トイレに驚き、ハンモックで寝るのに四苦八苦し、カンボジアの子供達との交流を楽しみ、地雷の悲惨さに絶句し、ひとまわり成長して帰国。善一は松山空港に近い娘の所で点滴をして貰って疲れを癒やしてから帰ってきました。帰宅一声、「日本はカンボジアより暑い!」本当にうんざりするほど毎日暑い日本の夏でした。善一がカンボジアなら恭子は埼玉です。春から夏の終わり迄4回行きました。
行く度に時間と追いかけっこでひたすら実家の別宅の片付け。育った本宅はすでに道路になってしまっていますが、両親が隠居所にと建てた小さな家は善一が埼玉にみかん売りに行った時に泊まっていました。しかし1年の内殆どは空き家同然。市役所から不用心なので何とかするようにと度々催促がありました。3人の子供達は全く関心のかけらもなく、私達夫婦の体が動けるうちに整理しておかなければ、と遂に処分することにしました。かくして格安航空ジェットスターでの埼玉通いが始まり、7月にはカンボジア行きを控えた善一も一緒に3トントラックに乗ってフェリーで埼玉へ。
埃と格闘しながらトラック3台分のガラクタを処分し、それでも捨てきれなかったガラクタを満杯に積んで愛媛に。11月の埼玉へのみかん販売は数日後に迫ってきました。
オー マイ ガッド!!!ガラクタはまだトラックの中です。明日は頑張ります。
トラックを空にしないと善一はみかん売りに出発できないのです。
ほんとのみかん清家農園
短日の今日も計画倒れかな