清家農園みかん山通信(115号)平成28年4月号
敷石に躓かないように、俯いて、パソコンと、みかん倉庫の間を往復している日々。うぐいすの「春だよーっ!ケキョ」と言う拙い鳴き声に「そうだ春なんだ」と気が付いて上を向くと、畑の間の桃の木が話しかけたい程愛らしくぽっちゃりと桃色の花束と化し、戦争で、25歳という若さで逝った伯父が植えた大木の桜は淡い薄紅色で辺りをやさしく包み、大小の不揃いのチューリップはクレヨンの箱をひっくり返したような赤白黄紫ピンクオレンジがウフフと咲いています。今年は3月末になっても時々寒い程の気温の日が有り、桜がなかなか満開になりませんでした。この分では入学式ぐらいまで持つかもしれません。十数年前に「ワークライフバランス」と言う言葉を知りました。働くばかりではなく暮らしを楽しむ程よいバランスが必要、という意味と受け取っていますが、春をのんびり楽しむ余裕もない毎日は間違っているなぁと感じています。気持ちの持ち様と言うこともありますが、物事の処理能力が年々下降線をたどっているのは事実。そのくせ遊びたい盛りですので、「なんとかなるさ」と開き直って出かけてしまうと、帰宅するなり、なんとかならない日々が待ち受けているという訳です。客観的に見ると自業自得ということですね。同じ集落のおばあさんは80歳をとうに超えているのに電動三輪車でみかん山に行って働き、その合間にみかんの皮剥ぎの内職をするという日々ですが別に辛そうな顔もしていませんから、それが当たり前と思っているのでしょう。あれもしたいこれもしたい、ここにも、あそこにも行きたい、あれも読みたい、これも聴きたい、それも観たいと、欲望の塊の私に比べ、なんと無欲な暮らし。私から見れば毎日ただ働くばかりの楽しみの無い暮らしに見えますが、何の不満もない様子です。世界で一番貧しいウルグァイのムヒカ大統領から叱られそうな足るを知らない私ですから、どうあがいてもあのおばあさんのように達観して死ぬ迄働くばかりというのは、出来そうも在りません。何しろのんびりする事と遊ぶことに憧れ続けている私ですので、いつか実現するのだという切なる願望を持って毎日あくせくしているのですから。なるべく早く実現しませんと、「いやに静かでなにもしないでいいけど、ここどこかしら」と思ったら天国だったということになってしまいますもの。でも、娘が孫達に冗談で「おばあちゃんは沢山の虫を潰しているから地獄に行くんだよ」と言っていましたので地獄かも知れません。ナメクジ、カメムシ、青虫。その他諸々の虫達よどうぞお許し下さい。ということですが、地雷処理の高山さんがカンボジアから帰国し、支援団体がNPO法人を取得したお祝いの会が日曜日にあったので、はるみとせとかを携えて行ってきました。松山までの道中、高速から眺める山々は見事な桜が上下、左右、遠近、とまさに春や春。道に迷いながら着いた高山さんの事務所のまん前の、ビルの谷間の小さな公園。満開の桜の木の下には支援者や事務所のスタッフ、ボアンティアが用意したご馳走や各種のお酒(高山さんがカンボジアで作っているソクラマエというキャッサバの焼酎)まで並んでいました。参加者およそ100人余。その人数の多さに驚きました。カンボジアからの留学生や研修生も来ていました。中に、昨年カンボジアで着物のたとう紙の工場を訪問した際に働いていた女性が2人来ていました。私が、身振り手振りで「覚えてる?」と言うと嬉しそうに、「覚えてるわ」と言う素振り。数日後にカンボジアに帰るとのこと。思い出をいっぱい作って帰ってゆくのでしょう。地雷の処理から始めた高山さんを、地道な活動で支える沢山の方々。その隅っこを私達も支え続けてゆきたいと思いました。
ほんとのみかん清家農園
伊予の海遠く従へ山桜