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清家農園みかん山通信(112号)平成28年1月号さて11月からのお約束のカンボジアのお話。年末、あたふたとみかん穫りの最中、カンボジアに居るはずの地雷処理の高山さんから電話があり、吉田中学校に講演に来ていますとのこと。お昼時だったので大急ぎでおむすびを作り、みかん山に案内しました。鈴なりのみかんの木の間でおむすびを頬張りながら、「素晴らしいね〜」とごきげんでした。昨年の7月私達夫婦は高山さんが活動しているカンボジアのタサエン村を訪れました。20年前ポル・ポト派が最後の拠点としていた所です。高山さんが9年前に住み始めた頃は村のあちこちに地雷が埋まり、畑を耕していた農民や遊んでいた子供達が地雷で手足を失ったり亡くなったりしていました。高山さんや村民スタッフが命がけで地雷処理を続けた結果、今ではめったに地雷で怪我や命を失うこともなくなりましたが、カンボジア国土にはまだまだ気の遠くなる程の地雷が埋められているそうです。私などポルポトと聞くと単純に即、残虐という思いがしてしまいますが、高山さんはそんなことはお首にも出さずではなく、全く意に介さずあっけらかんと村に溶け込んでおり「ター」(おじ(い)さん)と呼ばれ尊敬されています。地雷処理だけではなく、寄付を募って小学校を3校建て、あちこちに井戸を掘り、道路を作り、パソコン教育と日本語の教室を庭に建設中でした。また雇用促進のためキャッサバで作った焼酎を名産品にして日本にも輸出出来るようにと奮闘中でした。夫はその焼酎が美味しかったのか飲み過ぎてヨレヨレになっていました。また愛媛県の水引細工の工場を誘致して、17.8歳の娘さんが器用にのし袋の水引を作っていました。高山さんの部屋にはパソコン以外金目の物は何もなく、なんとシンプルで素敵な暮らしと羨ましく思いました。なぜなら私は、物の多過ぎる、素敵とは程遠い、暮らしをしているからです。 2月号に続く。 2月はポンカン、ネーブル 伊予柑 はるみです。 年賀状あの字おの字の鏡文字 |