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清家農園みかん山通信(113号)平成28年2月号キリマンジャロ登山の際、頂上遥か遠く、最初の山小屋についた時のような気分がします。 お約束のカンボジアの地雷処理の高山さんの話の続きです。一言でいえば地雷処理とは命がけの仕事です。私達もその現場に同行させてもらいましたが、地雷が爆発するときの音は「ドーン」とお腹の底に響く音でした。皆が笑顔になる、巨大な花火の音とそっくりなのに命を奪う恐ろしい音なのでした。農作物を作っている畑の中に未だに地雷が埋まっていることがあるのですから、身の毛がよだつ話です。なにしろつい20年程前の激戦地、各々筆舌に尽くしがたい過去を胸の内に秘めているのでしょうが、村の人々はみな穏やかな笑顔で貧しくもゆったりと暮らしているように見えました。高山さんご自慢のお手製のペットボトルに穴を開けて逆さに吊るしたシャワーの使い方をついに会得できず、40年前のアフリカ暮らしでやっていたように、洗面器で水をかぶるしか出来なかった私としては、彼の質素な暮らしぶりと反比例するかのような、教育、インフラ整備、産業振興と多方面に渡る地域振興への貢献に学ぶこと多々有りでした。小学校にも訪問しましたが、高山さんが生徒に履物の脱ぎ方について厳しく注意していたので、まるで近所のお寺の和尚様みたいだと思いました。高山さんが案内してくださった場所で最も心を打たれたのは4畳半ぐらいのコンクリート製の祠でした。彼が所要で日本に帰国するため村を離れた折、対戦車地雷の処理中の爆発事故で命を落とした7人のデマイナー達(村民の中から選ばれた地雷を処理する隊員。給料は高山さんのNPOが払っている)が祀られていました。左隅には8人目を祀る空間がありました。「ここに私が入る予定です」こともなげに言う高山さん。彼の凄さを感じました。仕事の合間をぬって色々なことをやらなければいけないだろうけれど、吉田の中高生をぜひこの村に連れて来たい、と決意して帰国し、物の有りすぎる自宅のシャワートイレに座り温かいお風呂に入り、そして日々仕事に追われる夫と私。楽しそうに質素な暮らしと命がけの仕事をしている高山さん。どちらが幸せなのかな。 3月はハルカ、はるみ、せとかが出番を待っています。 相剋を照らして白し冬の月 |