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清家農園みかん山通信(103号)平成26年4月号

 鶯が「何を朝寝しているのだ」とやかましく鳴き立てます。仕事の合間に何回にも分けて、あたふたといい加減に植えた30球程のチューリップが、様々な高さと場所と方向に色とりどり咲いたり咲き終わったりしています。ヒヤシンスは残りあと1本が草に負けそうになりながら咲いています。フリージアはここ数日で開花しそう。梅はすでに小さな実を付け、可憐なさくらんぼはやがて実となる花蕊が枝に残り、桜は徐々に葉桜となりつつります。10年以上前、みかんの行商をしていた頃、奥深い山の谷間、陽の当たらない一軒家に猪を飼って独り住むおじさんから頂いた蘭がいつの間にか増えて沢山の花芽が膨らんでいます。訪ねれば必ずみかんを買ってくれた人の良いあのおじさん、「泣いた赤おに」ではありませんが、独りぼっちで山の中今頃どうしているかしら。       タラの芽は天ぷらにするには大きくなり過ぎてしまいました。石蕗(つわぶき)はちょっと硬くなりましたが未だ食べられそうです。つわはお湯に浸して皮を剥きますがアクで爪の中迄真っ黒になります。巻き寿司の芯にすると、歯応えがあってとても美味しいのです。子供達が小さい頃はこの巻き寿司を持って峠迄お花見に行きました。桜で言えば葉桜を過ぎようという年齢になり、外界の春の華やかさに喜びつつも、残り時間を考えると、仕事々の毎日で、一向に取り掛かれない家の中の片付けに焦るワタクシではあります。片や善一、お客様から喜んでいただける品種を一生懸命考えて、手伝いの人まで頼み、せっせとみかんの木に芽接ぎをしています。昔、近所のおじいさんがみかん山でせっせと苗木植えをしている処を通りかかった時「おっちゃん、幾つまで生きるつもりぞな?」と失礼な声を掛け「百歳までよー」とすまして答えていたおっちゃんと同じような事をしています。野菜と違って、実がなるまで数年以上掛かる柑橘類は気長に育てなければなりません。色々あって後継者も不確かな今、せっせと芽接ぎをしている善一の行為は、実にポジティブなプラス思考というか、楽天的に人生を捉えているのか、はたまた彼の中に無意識に潜在する「みかん百姓魂」の為せる業なのでしょうか。人間何歳になっても希望を持たずには生きてゆけないものなのかもしれません。数日後には全国で入学式が行われます。民生委員として6年間、地元の小学校の入学式に出席していた私も12月で任期が終わりやっとお役御免と肩の荷を降ろそうとしていたのですが、4月になって、たった10人の地区婦人会の会長役の順番が回ってきてしまい断る訳にも行かず、今年も入学式に出席する事になりました。小学校2人中学校1人の孫達がそれぞれ入学式を迎えるのですが地元に住んでいないのでその姿を見ることは出来ません。多分、神様か仏様が、代わりに地元の子供達を祝福しなさいと便宜を図ってくれたのかもしれません。役得と心得て、溢れんばかりの希望に包まれたピカピカの1年生の姿を目に焼き付けてこようと思います。きっと、仕事に追われくたびれている六十路ばあばの心に元気を取り戻させてくれることでしょう。元気といえば柑橘類には高血圧や糖尿病の予防をする物質が含まれているそうです。皆さんみかん類をしっかり召し上がって下さいね。デコポン 清見 ポメロ ジュースと続きます。

ほんとのみかん清家農園

人生はまっさら 那生 知 結衣 祝入学