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清家農園みかん山通信(102号)平成26年3月号

 申告書を提出してルンルンと農協からの帰り道、ダム湖の近くで鶯の初鳴きを聴きました。
鶯の鳴き声が私への祝福に聞こえる気分。円形脱毛症になる寸前を脱したこの開放感。やっと花にも気がつきました。庭先のさくらんぼは満開を少し過ぎ、一昨日の雨で梅がほとんど散りました。すももは満開間近、杏は八分咲きというところでしょうか。花梨の蕾は気の早いのが2つ3つ咲きかけています。今年は極端に少なかったダム湖の鴨達も、若鴨が盛んに長旅の前の飛翔練習をしています。北国への旅立ちもそう遠くないことでしょう。命を懸けての自立です。
 2月半ばの思わぬ大雪。皆様のところは大丈夫だったでしょうか。2月15日早朝は善一が埼玉に向けてトラックで発つ日でした。前日、愛媛は雨でしたが、「山際は雪になりそう」との天気予報で、徳島港迄の高速が不通になる前に出発しないとフェリーの出航時間に間に合わなくなるということで、急遽14日の晩に出発。我が家は海が近い為たいした雪は降らないのですが、高速が通っている四国山地の山際は雪が降り易く、おまけに四国の高速道路は雪に慣れてないため少しの雪でもすぐに不通になるのです。通行止めに追いかけられるようにして雪の中どうやら4時間ほどで徳島港に着き、朝まで港近くの公園前にトラックを止めて仮眠し、いつも立ち寄る街中のスーパーへ船内で食べる昼食を買いに引き返そうとしたのですが雪で渋滞がひどく諦めたそうです。2時間余り遅れてフェリー出港。南岸低気圧の影響で海は大荒れ。船腹に波がドドーン、ドドーンと当たって砕ける音がうるさくて安眠できなかったそうです。泳げない私だったら怖くて眠れなかったことでしょう。尤も冬の荒海に投げ出されたらいくら泳ぎが得意でも無理でしょうけれど。半日遅れて東京有明港に着岸。上陸後、心配していた首都高速は通れたそうですが、高速から一般道に降りるのに1時間以上掛かりやっと志木市にたどり着き、その日は郊外への配達は中止。長靴を買いにスーパーへ行くもすでに売り切れ。仕方がないので靴屋さんで、防水してある皮のワークブーツを買ったそうな。「長靴を持っていけば」と言ったのに耳を貸さなかったガンコ親父の負け。帰路予定していた長野安曇野も、本人は行く気満々だったようですが「お願いだから」と電話で説得し、嫌々、フェリーで帰ってきました。歳も恐れぬ善一のイケイケドンドンは何時になったら治まるのでしょうか。
どんなに雪が降ってもその後には春がやってきます。この春、新しくスタートに立つ皆さんは、希望に燃えていることでしょう。かくいう私共にも小学校入学2人、中学校入学1人のピカピカの1年生になる外孫が3人も居ます。お祝いの出費もなかなかですが、ドーンと太平洋の荒波越えて、イケイケドンドン毎日一生懸命働けるのはこの張り合いがあればこそ。ありがたく、嬉しいことです。希望の春を目の前にして、もうすぐあの11日がやってきます。3年前、命もろともすべてを奪われた方々、まだまだ復興は遠く、挫けそうな人々がほとんどなのではと思います。順番上不謹慎ではありますが、青色申告から開放された今、東北や福島の皆さんに送るみかんの荷造りに取り掛かることに致しましょう。些細な事ですが細々でも毎年続けていこうと思っています。3月は、はるみ、ハルカ、せとかが最盛期です。ジュースも熟成し,美味しくなってきましたのでご予約承ります。4月はデコポン、清見タンゴールがみかん山で待機中です。

避難所となりし学校卒業す