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清家農園みかん山通信(68号)平成20年11月号

 明日は立冬、日増しに秋が深まっています。とは言え、日中は暑い々と言いながらみかんを採っています。半年のご無沙汰でしたが皆様お変わりございませんでしょうか?皆様に色々な事がお有りだったように我が家にも色々な事がありました。
 7月善一は喜佐方小中学校同級会(村の同級会なのに)何故か東京へ。恭子生活研究グループ全国大会に鹿児島へ。央樹協力隊2次試験に東京へ。その後猛暑の今夏、雨がほとんど降らずみかんの木は葉が巻いてしまい、灌水に追われました。9月になってやっとまとまった雨を貰い、木が蘇りました。お陰で今年のみかんは味が良く仕上がりました。9月初め恭子、今度は台湾へ視察研修。下旬には亡父の3回忌をしました。(お墓が清家の墓地の一角にあります。)埼玉から妹夫婦、山口から長男家族、松山から長女家族が集まってささやかでしたが賑やかな法事でした。亡き父も曾孫達が泣いたり笑ったりしている姿を、天上で目を細めて眺めていたことでしょう。法事の2日前に、トロッコ列車に乗って妹憧れの、四万十紀行に行ってきました。下車駅を間違えて、頼んだ唯一のタクシーが30分もお話中(タクシー会社のおばあさんが長話をしていた)で暑い日中田舎道で立ち往生なんていうハプニングもありましたが、右に左にと四万十川を眺めながらのゆっくり汽車の旅は、仕事に誇りを持ち、しかも心から楽しんでやっているという風情の朴訥な車掌さんのお陰もあって、日帰りとはいえ一生忘れられない良い旅でした。9月末はモンゴル人レンジャーがホームステイ。リクェストの水族館、動物園に案内、彼の眼が輝いていました。夜、焼酎を飲みながら朗々と歌ってくれたモンゴルの歌、草原の風の匂いがしてくるみたいでした。
 10月13日、近所の人達と一ヶ月遅れのお月見をみかん山でしました。とても良い月でした。名月が中天に昇る夜中まで、飲んで喋って楽しいお月見でした。
 10月18日、恒例のハロウィン、今年も560名の参加者で賑わいました。何日も前からの準備、当日の会場作り、各コーナーでの子供達の相手、100人分のボランティアの昼食作り、慰労会兼夕食の仕度、宿泊するALT達十数人(英語指導助手)の夜具の用意、次の日はみかん山でみかん狩りと焼肉、楽しいけれど体力の要った2日間でした 。私「私達いつまで(ハロウィン)やるのかなぁ」  善一「浜崎先生(元校長先生83歳乍ら元気溌剌、何でも嫌がらず引き受けてくれるバリバリ現役人生大活躍な方)の歳までやればまだ20年以上あるぞ」  私「うへーっ」
 10月25日「アフガニスタンが忘れられてしまって難民キャンプの人達が寒さで震えています。」と大塚モスク、ハールーンさんからの電話。急遽婦人会の仲間達に電話して衣類を集め、夜、救援衣料荷造り。世界の貧富の偏りに憤りを禁じえない。
 10月26日3週続きのみかん山パーティ、4月に29歳の息子さんを亡くされた友達ご夫妻と国際結婚をして子供を育てながらJICAの仕事で頑張っている協力隊の
OG家族と青年招聘事業以来親しい県の職員の方を招いて愛媛名物芋炊きパーティ。
 11月1日。央樹、群馬県に研修に出発。11月2日ロシア人大学生アーニャみかん狩りに来る。こう書いてみるとまぁ何と良く遊んでいるものだと我ながら感心します。 「人生は短い、楽しく生きよう!」なーんて、またもや言い訳ですかね。

爽やかな風と車掌と四万十川と