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清家農園みかん山通信(44号)平成16年11月号

 こちら愛媛は、晩秋と呼ぶには相応しくない暖かい日が続いております。皆様お久し振りです、お元気でしたでしょうか。台風や地震の被害に遭われました方々に心よりお見舞い申し上げます。
日本も世界も激動している折、誠に恐縮ですが、まずは今年の蜜柑についてのご報告です。ご存知のように今年は台風が頻発し、蜜柑山は幾度となく痛めつけられました。根元から倒されたり、枝を折られたり、実を傷つけられたりしました。
巷では熊の出没がニュースになっていますが、蜜柑山ではヒヨドリが異常な程増えて、裏年の貴重な蜜柑を食べ尽くす勢いです。ヒヨ(この辺りでの呼び方)は憎らしい事に味の判る奴でおいしいみかんを少しづつ食べ歩きます。「今年の蜜柑は、まるでヘレンケラーやな」(三重苦=裏年・台風・鳥害)と言いつつ収穫しています。「仕方ない、命が有るだけ感謝しないと」と善一は何故か殊勝です。   今、世界中で戦争や自然の猛威で余りにも沢山の人々が命を失っているので、この程度の蜜柑の被害で音をあげられないと思ったのでしょう。
 さて例によっての我が家の近況報告でありますが、6月に末っ子樹里が結婚しました。昔昔の教科書や母校の出版社に頼んで送って貰った本と首っ引きでウエディングドレスを縫いました。男の子きりいない埼玉の妹が、嬉々として東京中を走り回り材料を揃えて送ってくれました。週に3日もの当直もあるという激務の為か、仮縫いの度に痩せている娘の身を案じながら一針一針心を込めて縫いました。出来上がったドレスは、心と技術が一致しなかった面も多々ありましたが娘は嬉しそうに着てくれました。元ラグビー部の選手で、とってもやさしいお婿さんの横で娘は幸せそうでした。6月末。仕事の都合で新婚旅行は8月までお預けという2人を尻目に、善一・恭子は新聞広告の格安パックに飛びつき結婚31周年トルコ旅行を決行!イヤー楽しかったの何の。しかしその後「楽あれば苦あり」をしみじみ実感している今日この頃。8月次男・央樹アリゾナ州立大に再び入学。2年間善一が蜜柑山で余りにも怒鳴りすぎた為でしょうか?大学院に行くと言い出し「お金どうするの?」と聞くと『お貸しくだされ』バカな親と自分で承知しつつ貸してしまった。大学院よりお嫁さん探しの方があいつには難しいに違いない。だからアリゾナに逃げていったのだ!! しかしあんな極楽とんぼに育てたのは誰あろう私であった。後悔先に立たずでございます。8月末より姑の介護始まる。透析の拒否・入院の繰り返しに正直言って心身共に疲れました。でも善一がとても優しくなってくれて「そんなに頑張るな」と言ってくれたのでやっていけそうと思っています。一時は疲れ果て心療内科のお世話になりましたが、今はヨガの真似事など雑誌やテレビで見様見真似でやって心のリラックスを心がけています。先の見えない長い道のりですから息切れしないように介護しようと思っています。全国には沢山のお仲間が居るのですから。

いかに生きいかに老いなん鰯雲