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清家農園みかん山通信(43号)平成16年4月号

桃も桜も満開の4月になりました。何の手入れもしてあげていないのに庭のチューリップもヒヤシンスもバラもけなげに咲いています。神のなせる技としか言いようがない気がします。締め切りに追われた書類の山からやっと開放され、ヘルペスと後遺症の神経痛と家の中散らかり放題というご褒美を貰いました。自然の力強さに比べ何と我が身の非力さよと情けない思いがしました。たらの芽のてんぷらと筍を食べたら少し元気が出たので、先週末と今週始めにみかんの行商に行って来ました。蜜柑が豊作だったので倉庫にはまだ晩生の冬みかんが残っているのです。ビニールの袋に蜜柑を詰めて500円で売ります。日本の景気は上向いてきているとの事ですが私が行商に行く村々はまだそんな気配は感じられずお得意さんだった縫製工場のほとんどは潰れてしまいました。何とか生き残った工場も従業員は中国人の研修生が多くなり500円もする蜜柑を買ってはもらえません。もう一つの上得意だった工事現場も道路はすでにほとんど整備され山の奥深くまで行かないと現場がありません。子供達を育てている最中は持っていった蜜柑が飛ぶように売れ、まだ日が高い内にちゃっかり温泉に入って鼻歌をうたいながら家路についたことが何回もありました。今は昔の夢物語となってしまいましたが、世の中何とかなるもので、皆様のお陰でまがりなりにも子育てを終えていますので、「昔の光いまいずこー」と思いつつ、「ま、おかず代になればいいか」とあっちの谷間こっちの山の上と蜜柑を売り歩いています。昨年やっと就職した末っ子の娘が学生の時は、春休みに帰省すると必ずこの行商に同行させていました。昨年は就職前の最後の行商でした。鉛筆ダコの上にもう一つの鉛筆ダコが出来、指が痛くてきちんと鉛筆が握れなくなる程、頑張って国家試験を受け終わった後でした。「大学受験の時以上に勉強したかもしれない」と本人が言っていました。娘盛りの華やかな日日であるはずの6年間の大学在学中も、苦手な勉強に追われ「こんな青春のはずじゃなかった」と涙する事も度々でしたので、親としても、「可愛そうだなあ」と思う時もありました。行商を終え帰路につきながら娘が「行商の方が勉強より辛かった。」と言いました。「医者になっても今の気持ちを忘れちゃだめだよ」と言いますと「うん、絶対」と答えました。今年からは娘の若さを利用した行商も出来ず、その分おばさんの喋くりで頑張らなければならないのでしんどいですけど、晩ご飯まで食べさせて下さるお客様もあり温泉の回数券も持っていますので、体力の続く限り行商を続けようと思っています。丁稚奉公中の娘には「偉そうになったら休みを取らせて行商に連れていくからね」と言ってあります。娘は「忙しくてそんな暇ないもん」と言っています。工事現場のお兄さんに「今年は娘さん連れてこんの?娘さんくれたら車ごと買ってやるのに」と言われつつ頑張っているおばさんであります。
自家製みかん100%ジュース予約賜ります。添加物無し、濃厚でおいしいジュースです。変な?ラベルも貼りました。

いかに生きいかに老いなん鰯雲