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清家農園みかん山通信(130号)平成31年1月号

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。今となってはちょっと間の抜けた挨拶になってしまいました。怒涛の12月を何とか乗り切り、大晦日に帰省した子供達一家との楽しいお正月が終わった途端、まるで地面に磁石がついているように体が重く、脳はぼんやり さながら燃え尽き症候群状態に陥りました。今年こそ身辺を一歩ずつでも整理したいと娘に言いましたら「この物の多さでは到底無理な話だと思うよ。お母さんにもしものことがあったら片付け屋さんも呼んできれいにしてあげるから大丈夫だよ。それが私の役目だと思っているからね。どうしても捨ててほしくないものがあったら箱に{捨てないで}って書いて入れておいてね。1箱だけよ」と言われました。「だってこのままあの世に行ったら恥ずかしいもん」と言いましたら「恥ずかしいのは私でお母さんはもうあの世に行っちゃってるんだから恥ずかしいも何もわからないんだからいいのよ」ご尤もなお言葉ではでございますがやっぱりこのままでは恥ずかしい。1日24時間をもっと上手に使わねば間に合わない。よし今年こそ実行あるのみ!決心はすれどなかなか心も体も始動してくれません。年末の仕事の後始末も山程残っていますし新年には新しい仕事が目白押し。七草粥の頃になってようやく「これではいけませんぞ」と心身からの声が聞こえてきました。「もう歳だからなんて言い訳しない。まだまだ老け込んではいられませんよ」と自分に言い聞かせ仕事に本腰を入れ始めました。でも矢っ張り疲れが抜けてない気がします。職住一致ですので家にいると四六時中仕事から離れることはできません。では家から脱出するしか無いと、別府の温泉に骨休めに行く事にしました。善一は「ベトナムに行こう」と言いましたが私は「ダラダラしたい」と強く主張し勝利しました。本当は旅行の代わりに1週間「断捨離」に真面目に取り組めば少しは家の中が片付くのになぁとも思いましたが、またしても楽で楽しい道を選んでしまいました。別府迄は片道約4時間半の道のりです。愛媛側の佐多岬半島の三崎港まで1時間半足らず、国道フェリーが(海上が国道扱いなのです)1時間半、九州の臼杵港から1時間程で別府着です。重くて持ち上げられない程の本も張り切って持っていきましたが一冊も読みませんでした。その代りホテルの近くの砂浜や街中を歩き廻ったので(みかん百姓のかみさんですのに、日常はほとんど事務と営業の仕事ばかりで、動かしているのは口と指先だけという不健康な毎日なので)、日頃の運動不足を随分と解消できました。のんびりと別府湾を眺め、考える事といえば朝昼晩は何を食べようかという事位、朝晩の散歩やあちこちの温泉巡りのお陰でリフレッシュできました。1週間後「何も期待しないで帰ろうね」と帰宅。庭の山茶花はまだ盛んに咲き継いでいましたが、何と梅の花が八分咲になっていました。父ちゃん母ちゃんから期待を封印しようと努力されている御本人の息子も思っていた以上に仕事を進めていたのでびっくり。働き盛りの大男なのですから当たり前の事ですが、なかなかどうして当たり前のハードルは高いのです。
リフレッシュして心機一転父ちゃん母ちゃんも隠居の日を夢見て頑張っていきまっしょい。

ほんとのみかん清家農園

燃え尽きてまた立ち上がる7日かな