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清家農園みかん山通信(96号)平成25年3月号

 満開の梅やさくらんぼの枝先に雲ひとつ無い青空が広がっています。10日程前に裏山から鶯の初鳴きが聞こえました。今年の鶯は少し生意気で未完成ながら才気煥発の技巧派風に鳴いていました。心なしか急かされているように感じたのは思い込みでしょうか。例年のごとく青色申告に苦しんでいます。育成資産(苗木)から大植物(成木)へ移る際の計算の仕方(パソコンの操作)を毎年すっかり忘れ、おまけに昨年は途中から経営主が善一から央樹に変わったので申告書を2通提出しなければならないのです。パソコン上の右往左往でドライアイ&目の下が痙攣中。疲れたなもう。
 中学校の頃はそれなりに解っていた数学や理科が高校に入って微分積分、物理のナントカの定理などと進むに従いもつれた毛糸のようになかなか解けなくなりました。呑気で楽観的なくせに、融通が利かず要領が悪い私は「何故そうなるのか」という道筋に納得がいかないと前に進めないのです。学生だった頃は先生という教える事のプロと1日中一緒だった訳で何の遠慮もなく教わることが出来た筈なのですが、若い私は見栄を張っていてそれをしませんでした。今にして思えば何ともったいない事をしていたのでしょう。お陰で隣の席だった今は亡き清水さん(彼女は数学の先生になりました。)は授業中に邪魔をする私の質問に嫌な顔ひとつせず教えるという災難に会っていました。青色申告も教えてくださるひとが居ない訳ではないのですが、私の樣にいつ迄もしつこく食い下がって教わりたがる人は、忙しい農協職員や普及員に迷惑をかけます。このままでも決算書は書けるのだからいい加減にさっさと済ませたらと善一は言いますが、私にはそれが出来ません。家の中を散らかしてパソコンにしがみついています。喉元過ぎればで、青色申告が終れば知らん顔して他の事に追われているのでしょうが、今は必死なのです。いい歳をして未だに何をするにも必死で、余裕とは程遠い日々。愚かにして失敗の達人であることはとうの昔から皆に知れ渡っている事実ですから怖いものなし。かくして今は恥も外聞も捨ててどなたにでも教えを請います。でなければ沢山の???を抱えたまま、そう遠くもないあの世へ、という事になってしまいますので。ま、私の解ることなんて針の先程でたかが知れていますけれど。
 お話変わって今年も学芸会(学習発表会)に行って来ました。青色が気になって仕方がなかったのですが民生委員の努めと渋々出かけたのです。結論。行ってよかった。過疎化が進み、我が家の子供達が通っていた頃の3分の1にも満たない生徒数になってしまった喜佐方小学校。140年もの歴史があり善一の父も祖父も通いました。今ではどの学年も10人に満たないので1人何役も受け持ってセリフを言ったり歌ったり踊ったり演奏したり大忙し。残念ながら自分の孫は在校していませんが、お隣の2年生のさきちゃんが「スーホの白い馬」という劇を一生懸命全力でやっているのをみて不覚にも涙が出てしまいました。中国からの大気汚染、原発から30キロの線上という立地、若者人口の流出等、喜佐方地域も世界の動きと無縁ではありません。この時代に生まれ合わせた子供達が健やかで幸せな人生が送れますように。あの世が近いなどと言ってばかり居られません。まだまだ次世代のためにやらねばならないこと、やり残していることがいっぱいあるのではと改めて思いながら家路につきました。

ほんとのみかん清家農園  http://mikanyama.com

渾身の匍匐前進春よ来い