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清家農園みかん山通信(98号)平成25年11月号

 うだるような夏のあの暑さは何処へ?と思わせる季節の移ろい。フリージアとチューリップの球根も未だ植えてないのに11月だなんて。今年も4月以来いろいろなことが有りました。5月には次男がアフリカに出奔。子供の頃からの後継者育てが曖昧だった報いなのではと反省中。「農家の長男なのだから家を継ぐのは当たり前」との刷り込みに抗えず、七代目を継いだ善一は「子供たちには同じ思いをさせない」と「お前達は自由だ」と育てました。結果、長男は大学入学を期に「家を継がない」宣言。現在サラリーマン。何事もゆっくりの次男は曖昧なまま何となくアメリカの大学院を卒業、海外協力隊を経て「農業継ぎます」と帰国したのですが18年間離れていた地域社会に溶け込むのはそう簡単なことでもなく、早癇癪の父親と呑気でゆっくりの次男との確執も絡まった毛糸の如く、どちらの男も至極不器用で修復の緒も見つからず、愚かな母ちゃんはオロオロ二人の間を右往左往。まるで物語みたいな結末になりました。同じ職業の父親と24時間共にするというのは息子にとっても父親にとっても可成りしんどい事であるのは父子共、判っていた筈なのですがどちらも辛抱が足りなかったのだと思います。楽観的な私はその内いつか次男が戻ってくるのではと希望を抱きつつ、でも帰らないかもしれないと希望と不安の間をアップダウンしています。と、嘆いている割には遊ぶことにも結構精を出し、お盆にはジジババ&長男と娘の子供達の一族郎党9人で別府の杉乃井ホテルに出かけ、ジィジの年金大活躍でした。孫達の楽しそうな様子を見ながら束の間幸せ気分に浸りました。みかん山はといえば一向に雨が降らず、おまけにカメムシの大発生。みかんにも人間にも苛酷な暑い夏でした。反面、暑い夏のお陰でジュースが早々と完売しお客様には申し訳ないことを致しました。杉の井パレスから帰り泊まっていった孫達とのお盆の後始末を終えるや早お彼岸。10月には「ままよ短い?この人生」と年金大放出。クルーズに出かけてしまいました。ツアーはお金が掛かるので、夜な夜なパソコンに向かい格安航空券と安いホテルを探し7泊8日のクルーズだけ申し込みました。松山から成田まで片道4890円という安さ。この安さのしわ寄せは誰に行くのだろうと心配しつつも安さに負けて利用しました。出港地ベニス迄の往復はカタール航空の格安券。体力的にはきつい行程ですが背に腹は変えられません。出港前日ヴェネチアに1泊。小さな可愛いホテル。美味しい朝食付き、2人で14000円程。スーパーで可愛い洗濯バサミを見つけおみやげに買いました。クレメンティン(柑橘)も買い試食。味はマァマァ。翌日午後乗船。14万トン、16階建て。徳島〜東京間フェリーの10倍。デカすぎる。乗客数4千数百、スタッフ1600人。おらが村よりずっと人口が多い!船に滞在中自分が今船内のどの辺りにいるのか全く理解出来なかった私。夜はおめかしして船内のシアターへ。ショーを見る前にビンゴで一山当てようとした処大当たり。ではなく、善一が転んで右腕を骨折。次の日の寄港地バーリは観光否病院。袖口が擦り切れたヨレヨレ白衣のドクターがガチガチになる石膏のギブスを丁寧に巻いてくれました。船は進み、翌日はギリシャ。オリンピアの聖火の採火地や古代オリンピック競技場を見学。夜はフルコースのディナー。味が濃く塩辛くやたら喉が渇きます。でももったいないので完食。体に悪い。然し流石にワインはどれもおいしゅうございました。
12月号に続く   

中世の街は10月雨に濡れ