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清家農園みかん山通信(146号)令和3年11月号

「時間よー止まーれ」という歌が有りましたが、私にとってこの言葉は毎分ぐらいに思う言葉です。こなさなければならない事柄に対して実行できているのは10分の1以下、何とも情けない日常です。石川啄木では有りませんが、命ある動植物すべてが、「我より偉く見ゆる日々よ」です。という訳で否応なく11月。庭の山茶花がいつの間にか沢山の濃いピンクの色で、ジジババと中年男(パートナー募集中)の家を多少なりとも明るくしてくれています。
遂に本格的みかんシーズンに突入しましたが今年は清家農園にとって特別な11月です。45年間トラックで埼玉迄みかん売りに行っていた夫善一が、遂に引退を決意しました。とは言えまだ未練が断ち切れていないので、来年の4月には最後の販売と45年間のご愛顧のお礼に廻りたいと、点検と称して3トントラックに時々ヴォン々とエンジンを掛けています。12日の75歳の誕生日は45年振りにトラックで走行中でもフェリーの船上でも無く家で過ごせそうです。世界中でこの2年間猛威を奮っていたコロナも今は小康状態になっています。確信は持てませんが、ウイルス自体が弱体化しているという話も新聞で読みました。抗新薬も開発が進んでいるようですし、その内にインフルエンザ並みになってくれれば良いと誰もが望んでいる処ですね。清家農園はコロナの影響はそれ程受けていないと思いたかったのですが、結構きついボディブローが今になってじわりじわりと効いてきています。しかし下を向いて固まっているわけにも行きません。愛媛県内の移動ぐらいなら許されるだろうと先日は娘家族や友人家族で、みかん山のてっぺんで海を見ながらバーベキューを楽しみました。その内二家族は国際結婚組なのでスペイン語、英語、日本語が飛び交う久し振りの賑やかな時間でした。
とは言うものの今年も数百人の子供達が集まる吉田町国際交流協会主催の公民館大ホールでのハロウィンパーテイは自粛し、小学生と保育園幼稚園児全員にお菓子を配ることにしました。クッキーを焼いたりドーナツを揚げたりして、500袋のお菓子を詰め、学校や保育園に配って回りました。吉田の子供達が楽しみにしている、20年間も続けている恒例の行事を、昨年今年と中止せざるを得なくなり残念ですが来年の再開に希望を持っています。今年の年末とお正月には2年間会えなかった長男家族に是非会いたいと思っています。このままコロナが収まってくれるかうまく共存出来ますように。
 ここ数年は夏が終わると秋が極端に短く、すぐに冬に入ると誰もが感じています。温暖化のせいでしょうか?冬支度の始めとして、迷った挙げ句、壊れたエアコンを新しく取り替えました。海一つ隔てた半島の原発が裁判で再稼働を認められた日でした。火鉢一つで寒さをこらえていたおばあちゃんに怒られそうです。後ろめたさを沢山抱えながら、プラスチック製品に囲まれ、肉も美味いと食べ、車を運転しパソコンや電子レンジを使いテレビを観、たまには飛行機に乗る私。ごめんなさい。地球さん。

落日の海もみかんも黄金色