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清家農園みかん山通信(158号)令和5年11月号口だけは達者で、年寄の自覚も薄いのですが、齢を重ねた肉体は正直で、肩はコチコチ、膝はガクガク、少しの段差に躓く始末。ダム湖の周りを一周すると1.3キロあり、かかりつけのクリニックや鍼灸医から歩きなさいと言われているのですがWeb兼営業係のオフィスオババたる私は「このままでは寝たきりになる」と恐怖を覚えつつパソコンと電話にしがみついているうちに日が暮れる日々。元サラリーマン風(この地域で元サラリーマンといえば大概が役場勤めだった方)の健康に気をつけているらしいご夫婦が街から来て毎日せっせと歩いているのを横目に見て車に乗って用事で街に行く不健康な私。毎日万歩計があくびしています。 10月には親戚同様の友人家族を招いての恒例のみかん山パーティ。 今年のエピソードは、、友人の1年生のお孫さんの三大君がとても張り切って一心不乱に蜜柑を穫っていました。次の日学校の担任の先生に「みかんを持ってきても良いか」と尋ねた処許可は貰えませんでした。次の日も又次の日も彼は先生に尋ねました。根負けした担任は「校長先生が良いと言わんとだめなのよ」と答えた。敢然と校長室に向かい校長に直談判した三大君、遂に校長の許可を獲得。次の日華奢な体格の彼には重すぎて持ちきれない蜜柑を、前の晩からご機嫌を伺っておいたお兄ちゃんにも持って貰い意気揚々と学校に行き、一人に2個ずつ配りました。「蜜柑狩りに行くのよ」とクラスのみんなに話していたので苦心して自分で穫った蜜柑をどうしてもみんなに配りたかったのでしょう。三大君、インフルエンザや中耳炎を克服してよくぞみかん山に来てくれました!ちなみにママの実家のおじいちゃんおばあちゃんが家に来た時にはたった1コずつきりあげなかったとの事。彼の心情を察すると笑いが込み上げてきます。三大君にまた蜜柑狩りに来て貰えるよう、来年まで元気で生きていなければと励まされた出来事でした。コロナ禍で保育園の頃から行事に恵まれなかった三太君ですが、今世界ではあちこちで戦争が勃発し命を落としている子供達が沢山います。難民が身を寄せる国連パレスチナ難民救済事業(UNRWA)の保健局長は日本人の清田医師です。彼は大戦後70年もの間難民として暮らしているパレスチナの人々の為に働いています。たとえどんな理由であれ戦争は人々を苦しめる以外何も得るものはありません。どうか戦争が早く終結します様に! 12月は温州みかんと愛まどんなです。 見晴るかす豊予海峡秋の色 |